智弁和歌山の“55”中塚遥翔 「ここぞ」で打てず センバツ
◇センバツ第2日(19日)2回戦 ○英明(香川)3―2智弁和歌山● 「55」の通し番号に合う活躍はできなかった。英明の投手陣を打ちあぐね、初戦敗退した智弁和歌山。中塚遥翔は4番として貢献できず、か細い声で「実力不足」を繰り返した。 【息詰まる接戦…英明vs智弁和歌山を写真で】 1点を追う九回無死二塁。智弁和歌山の名物応援曲「ジョックロック」が甲子園に響いた。1ボールからの2球目。4番として「ここぞ」の場面での打撃が課題だったが、思いっきり振った結果は平凡な一邪飛。「何も起こらないファウルフライ。せめてセカンドへ打って、走者を三塁に進めなければいけなかった」。状況に応じた結果を出せなかった。 智弁和歌山には個人の所有物を識別するために選手に通し番号があり、中谷仁監督が選手のイメージで番号を振る。中塚には「55」を贈った。 中塚は大阪府和泉市立信太中の時、地元の泉州阪堺ボーイズに所属し、進学先に智弁和歌山を希望していた。中谷監督が練習を見に行くと、目を見張るものがあった。「なかなか人に説明しがたい(ボールを)飛ばすコツを持っている選手だった」。そのイメージで番号は決まった。 43歳の中谷監督にとって、「55」といえば米大リーグ・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜さん(48)だが、世代の異なる中塚がイメージするのはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の主砲・村上宗隆(23)のようだ。中塚は目標とする選手にも村上を挙げる。 昨秋の近畿大会で3試合連続本塁打を放った一方、敗れた準決勝の報徳学園(兵庫)戦は最後の打者になった。選抜大会に向けて、頭の上下動を少なくして無駄な動きをなくすことで「確実性」を高めようと取り組んできた。 チームは13残塁で、まさしく「ここぞ」で打てなかった。責任は痛切に感じる。「勝負どころで一本打てる、チームから信頼されるバッターになりたい」。「55」から連想する選手が「中塚遥翔」となる日が来るよう、自身と向き合う。【荻野公一】