〈なぜ、日本製鉄はUSスチールを買収するのか〉米国鉄鋼市場だけではないエネルギー価格という側面
米国と日本の市場の違い
日本製鉄のUSS買収の狙いの一つは、米国鉄鋼市場にあると考えられる。人口減少に見舞われる日本と異なり、米国の人口は増加を続けている。 20年の人口は、米国、日本それぞれ3億3300万人と1億2600万人だ。40年にはそれぞれ3億7400万人、1億1280万人になり、60年には4億500万人と9610万人と予測されている。20年から40年間に日本の人口は24%減少する。米国は22%増加する。 人口が減少する社会では、必要とされるインフラも縮小し、鉄鋼需要も減少する。日本の市場規模縮小に対し、米国市場は拡大する。拡大する市場は魅力だ。 図‐1が最終製品になる前の粗鋼の国別生産量を示している。旺盛な需要を背景に中国が世界の半分以上の生産を行っている。 国別の輸出入は図-2の通りだ。米国は世界最大の鉄鋼輸入国だ。鉄鋼貿易は政治問題化することがあり、関税、数量割り当ても時として実施される。日本からの輸出が問題になる可能性がある以上、米国内の生産が好ましい。 企業別の生産量では、世界一は中国宝鋼集団だ。23年の生産量は1億3100万トン。2位はアルセロール・ミッタルの6850万トン。日本製鉄は4位4370万トン、USSは24位1580万トン。買収が成功すれば世界3位の規模になる。 買収によるシナジー(相乗効果)も同業の間では大きい。技術、設備投資、資金調達など多くのシナジーが期待できるが、米国企業を買収するメリットは、市場とシナジーだけではない。 大きな効果は、脱炭素時代の製造コストへの寄与だろう。
エネルギー価格が産業の将来を決める
粗鋼を作る方法は、大きく二つに分かれる。鉄鉱石を石炭コークスにより還元する、高炉を利用する方法と、主原料の鉄スクラップを電気炉で溶解する方法だ。 電気炉では高品位の製品の製造は難しいが、電気炉の二酸化炭素(CO2)排出量は相対的に少ない。脱炭素を実現するため高炉から電気炉への転換も検討されている。 日本の粗鋼生産量の7割強は高炉利用だが、米国では粗鋼生産量の7割弱が電気炉だ。米国の低廉な電気料金が電気炉の競争力を高めている。 図-3が米国と日本の産業用と家庭用電気料金を示している。米国内の電気料金は州により異なり、カリフォルニア州など日本の電気料金を上回る州もあるが、大半の州の料金は1ドル150円の円安下でも日本を大きく下回っている。 筆者は、エネルギー事情の調査のため今欧州に出張中だ。先週、欧州の水素の専門家から話を聞く機会があった。CO2を削減するため電気の利用が難しい産業では水素の利用が広がると考えられている。その代表が高炉製鉄だが、専門家もまだ将来像を描けていない。 高品位の鉄鋼製品製造には、CO2を排出しない水素利用の還元が利用されるが、なかなか広がらない。水素のコストがまだ高いからだ。 ドイツは太陽光、風力発電などの再生可能エネルギー(再エネ)設備を国内に敷き詰めても、必要な量の水素を水の電気分解により製造する発電量を得ることができない。水素の輸入が検討されているが、水素を輸送するコストも高い。 それよりも、水素が安い地域で粗鋼、あるいはその前の形の銑鉄を製造し輸入すればコストは、ドイツで水素から銑鉄、粗鋼を製造するよりも安くなる。 アフリカ、ブラジルでは既にCO2を排出しない水素を利用し鉄鋼を製造する事業が検討されているが、米国製水素の競争力はさらに高いと見込まれる。 アフリカ、南米で再エネ設備からの電気による水の電気分解を行うより、米国の天然ガスから水素を製造し、発生するCO2を捕捉、貯留するほうが水素を安く製造することが可能だ。米国の天然ガス価格は極めて安い。 脱炭素時代の鉄鋼生産を考えれば、電炉でも高炉でもエネルギー・電力価格が安い米国での生産がもっとも競争力を持ち理に適っている。 脱炭素の時代には米国から銑鉄、粗鋼を輸入し最終製品を日本で製造することも、オプションのひとつとして将来の視野に入ってくる。 ドイツ政府は自国のエネルギー多消費型産業が米国に流出することを懸念しているが、エネルギー、電力価格の高騰により、既にドイツでは製造業の低迷が始まっている。 日本のエネルギー・電力価格を競争力のあるレベルにし、維持するためには、原子力発電所の再稼働がまず必要になる。日本からの産業流出を心配する時代だ。
山本隆三