「大蔵省の責任を書かないという選択肢はなかった」山一証券社長は大蔵省から含み損の「飛ばし」を示唆された…“ミンボー専門”の42歳の弁護士が「調査報告書」に込めた思いとはー平成事件史(18)戦後最大の経営破たん
11月14日、事態は急変していく。富士銀行から「全面協力ではなく、担保に見合った範囲で力になりたい」との回答があった。つまり協力はできないということだった。これで山一は頼みの綱を失った。 ■「日本の金融業界では仕事こなくなるよ」 とうとう山一証券は、会社を存続させるためには大蔵省と日銀にすがる以外、方法がなくなった。 その日11月14日の夕方、野澤は大蔵省の長野証券局長を訪問、「簿外債務」の存在を初めて伝え、生き残りへの支援を求めた。 すると、長野局長は野澤社長にこう告げた。 「もっと早く来ると思ってました。(倒産した)三洋証券とは違うのでバックアップしましょう」 野澤はこれを「大蔵省は、再建を支援するという前向きな姿勢を示してくれた」と受け止めた。帰りの車の中で、同行した藤橋常務からも「よかったですね」と声を掛けられた。 実際、11月15日、16日にも藤橋常務や経理部長が大蔵省に赴き、会社再建策や含み損の状況を説明している。17日には野澤社長、藤橋常務が証券取引等監視委員会(SESC)にも含み損の報告をしている。 ところが、11月19日、野澤が大蔵省を訪問すると、長野局長の態度は一変していた。そして、こう通告した。 「感情を交えずにタンタンと言います。『自主廃業』を選択してもらいたい。金融機関としてこんな信用のない会社に免許を与えることはできない」 長野が伝えた「自主廃業」というのは、会社が自分から事業活動を止めろということだった。会社は消滅、従業員は全員解雇しなければならない。 一方で、「会社更生法」という手段であれば会社は存在できる上、従業員も残して、法的に再建をめざすことが可能だった。これより前、11月3日に経営破たんした「三洋証券」でも適用されていたからだ。 しかし、山一証券の場合は、『飛ばし』による粉飾決算という犯罪が絡んでいたため、法的整理の「会社更生法」は認められなかったのだ。 たった5日前まで、「支援する」との姿勢にとれた長野局長の態度は一変していた。 いきなり山一に「自主廃業」を迫ったのである。野澤はあまりの手のひら返しに、言葉が出なかった。
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