「大蔵省の責任を書かないという選択肢はなかった」山一証券社長は大蔵省から含み損の「飛ばし」を示唆された…“ミンボー専門”の42歳の弁護士が「調査報告書」に込めた思いとはー平成事件史(18)戦後最大の経営破たん
この「内閣の判断です」という「長野発言」の根拠がのちに問題となる。 当時のTBSニュースはこう伝えている。 『村岡官房長官は「内閣として自主廃業の方針を決めたことはない」と述べ、長野局長の発言内容を強く否定した。 この点について長野局長は、「総理や大蔵大臣に報告したものだ」と曖昧な説明をしており、村岡官房長官との食い違いを見せている』 村岡は記者会見で「内閣の関与」を「否定」したのだ。ただし、これはあとの話であって、「最後通告」を突きつけられたときの野澤は、長野の言葉を額面通り受け止めるしかなかった。情報が漏れていることを理由に大蔵省が発表を「2日も前倒し」したことに、驚きを隠せなかった。 支援どころか、大蔵省は3連休の最終日、11月24日に「自主廃業」を公表すると言っているのだ。 11月21日は連休前の金曜日だった。アメリカの格付け会社「ムーディーズ」が山一の社債の格付けを「最低ランク」の「ダブルB」に引き下げた。「投資には不適格」という烙印を押され、連休明けからの資金繰りは一段と厳しくなった。 野澤らは「これで万策つきた」と認識せざる得なかった。 連休初日、11月22日の土曜日、日本経済新聞は朝刊1面トップで「山一証券 自主廃業へ」と世紀のスクープを放った。(21日夜に日経テレコムオンラインでも速報) このスクープが「新聞協会賞」を受賞したことは言うまでもない。 ほとんどの役員、社員は、この日経新聞の記事で初めて「自主廃業」を知らされた。野澤はぎりぎりまで逡巡し、役員会にも報告していなかったからだ。 「勤労感謝の日」の振替休日、11月24日の月曜日、山一証券は午前6時から、「臨時取締役会」を開き、「自主廃業」に向けた営業停止を決議した。 そして、午前11時半から東京証券取引所の会議室で、あの記者会見が始まった。 野澤正平社長は「私ら(経営者)が悪いんです。社員は悪くございません」と号泣した。 この会見は、平成の金融危機を象徴するシーンとして、国民の記憶に刻まれることになった。
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