おもちゃではありません 世界の奇妙なマイクロカー 37選 後編
ライトバーン・ゼータ(1963年)
オーストラリアのライトバーン社は、セメントミキサーや洗濯機のメーカーであったが、1963年に手頃な価格の小型車の生産に乗り出すことを決めた。その最初のモデルが、324ccのヴィリアーズ製2気筒エンジンを搭載した前輪駆動のゼータである。1963年から1965年にかけて、商用車仕様のゼータ・ユーティリティを含めて約400台が生産された。
ライトバーン・ゼータ・スポーツ(1964年)
ライトバーンはもう少し刺激的なものをと、1964年にゼータ・スポーツを発売した。498ccの2ストロークエンジンが搭載され、最高出力21psを発揮した。しかし、オーストラリア市場では明らかに過剰な仕様であり、わずか48台しか生産されなかった。
FMR TG500(1957年)
航空機メーカーとして名を馳せるメッサーシュミットだが、第二次世界大戦が終結すると、小型車開発で知られるフリッツ・フェンド氏と提携し、マイクロカーへの転換を図った。メッサーシュミット初のモデルは三輪車だったが、1957年には四輪のTG500、通称タイガーが登場した。TG500は493ccエンジンにより最高速度135km/hを達成し、FMRブランドから販売された。オープンタイプとクローズドタイプがあり、総生産台数は約450台とされる。
スパッツ(1956年)
スパッツ(ドイツ語でスズメの意)は、モペッタの生みの親であるエゴン・ブルッシュ氏の発案だが、当初は脆弱な構造の三輪車で、販売するにはあまりにも安全性に欠けるとされた。その後、タトラで名を成したハンス・レドヴィンカ氏がスパッツを四輪車に改良し、1956年から1958年にかけて1600台ほど販売した。
エクサム(1983年)
マイクロカーは現代でも販売されている。実際、フランスではこの手の小型四輪車の市場が長年にわたって盛況を呈している。当然ながらエンジン排気量や性能には制限があるものの、フランスでは14歳から運転免許なしで乗れるのだ。最大手はエクサムで、その最新モデルがこちらのクーペである。
リジェ・アンブラ(2008年)
現代の小型四輪車市場におけるもう1つの有力メーカーがリジェである。同社は1970年代にスポーツカーの生産を始めたが、2008年以降はアンブラのような「免許不要のクルマ」に重点を置いている。