おもちゃではありません 世界の奇妙なマイクロカー 37選 後編
モシェCM 125 Y (1954)
初期のマイクロカーで成功をおさめたモシェ氏は、高級化を決意し、1954年にCM 125 Yを発表した。完全密閉型のボディを備え、125ccのエンジンを搭載し、最高出力5psを誇った。1958年までに1100台以上が生産された。
グラース・ゴッゴモビル(1955年)
最も有名なマイクロカーの1つであるグラース・ゴッゴモビルの魅力は、その流線型の美しいボディラインにある。1955年にドイツで発売され、当初は250ccエンジンを搭載していたが、後に300ccまたは400ccを選択できるようになっていた。英国ではリージェント(Regent)という名で販売されていた。
ゴッゴモビル・クーペ(1957年)
前項のセダンの成功に後押しされたハンス・グラース氏は、同じプラットフォームを使用して、よりスポーティーなモデルを開発した。このクーペは、エンジンによってTS300やTS400といった複数のタイプがあり、英国ではメイフェア(Mayfair)として販売された。
ゴッゴモビル・ダート(1959年)
オーストラリアのグラース販売代理店を営んでいたビル・バックル氏は、クーペよりもさらにスポーティーなモデルに対する需要を見込み、独自のカブリオレ仕様を発売した。セダンのプラットフォームに300ccまたは400ccエンジンを搭載し、ダートと名付けられた。1959年から1961年の間に約700台が生産された。
フェアソープ・アトム(1955年)
第二次世界大戦で活躍した英国空軍の英雄DC・ベネット氏が1954年にロンドン郊外に設立したのがフェアソープ社だ。マイクロカーよりもプラスチック製ボディのスポーツカーを専門としていたが、最初のモデルは2気筒でグラスファイバー製ボディの2人乗りのアトムだった。贅沢とは無縁のクルマである。
ラッソン(1951年)
1951年と1952年のわずか2年間しか生産されなかったラッソンは、滑稽なほどに小さすぎる車輪、250ccのエクセルシア製2気筒エンジン、そして合金パネルのボディが特徴的だ。しかし、500ポンド近い高価格設定により、生産台数は2桁にも届かなかった。その後、プロジェクトはフェアソープ社に買収された。