ドライバーとお客は「一期一会」だが…「もう一度会いたい」と願う出会いもあった【タクシードライバー哀愁の日々】
【タクシードライバー哀愁の日々】#22 「袖すり合うも多生の縁」とか「一期一会」とか、1人の人間と見ず知らずの他人との出会いにまつわることわざはいくつもある。前者は、その2人は実は前世で出会っていて、再度会うのは偶然ではなく、何かの縁があり、必然なのだという意味なのだとか。 「ライドシェア」サービス開始に不安の声《乗ったらいきなり知らない場所に》《酒に酔ったお客さんの汚物で車が汚されたら》 後者は、一生に一度の出会いなのだから、その出会いを大切にしようといった意味で使われる。 とはいえ、タクシードライバーとお客の関係は、単純な話でいえば「赤の他人同士」、それも一生に一度だけのわずかな「交差」にすぎない。仕事をしているときにいちいち「多生の縁」などと考えることはなかった。それでも私は「一期一会」なのだから、一緒にいるわずかな時間でも、お客に気分よくいてもらいたいという思いは少なからずあった。だから、私はとくに言葉遣いには注意を払っていて、年齢、性別を問わず、常に敬語で接していた。 しかし、そんな私の流儀などお構いなしに、露骨な上から目線で話しかけてきたり、無理難題を突き付けてきたり、やたらと絡んでくるようなお客に出会ったりすると、こんな人間とは二度と会いたくないと思ったものだ。 別に敬語を使えとは言わないしフランクな語り口であっても一向に気にしないが、「初対面の人間にそんな口のきき方をするか?」とあきれてしまうようなお客もいた。 ■「これから、北極に行く」と言った女性写真家 その一方で「できることなら、この人をもう一度乗せてみたい」と思わせてくれるお客もいた。 ある日のこと。東京・荒川区から無線客を乗せた。指示された場所に到着すると、60代とおぼしき女性が待っていた。大きなトランクが2つ。それとは別に2つの大きなリュック。「羽田空港まで」という。荷物を載せるために私はすぐにクルマを降りた。「すごい荷物ですね。大丈夫ですか?」と私は尋ねた。すると「両手にトランク、あとは背中と前に2個。慣れているから」と。私が「失礼ですが、どちらまで?」と尋ねると「カナダ経由で北極まで」と平然と答える。 クルマを走らせながら話を聞いたが、北極は「今回が3度目」だという。この女性のことを私は寡聞にして存じ上げなかったが、話の様子から彼女は著名な写真家なのかもしれない。「テントで1週間、1人で寝起きしながら、写真を撮るのよ」とのことだった。 新婚旅行のハワイ6日間とか、家業が順調なころの取引先の招待旅行とか、海外へはパッケージ旅行しかしたことのない私にとっては驚きだし、ましてやそれが北極だというのだから、圧倒されてしまった。 運転しながら、私は北極で白熊に襲われて命をなくした写真家のことを思い出していた。彼女の撮影場所が安全なのか、白熊などは大丈夫なのかなどと思いが浮かびはしたが、これから旅立とうとしている彼女には余計なお世話以外の何ものでもない。やじ馬的な質問は控えることにした。 その日は道路も比較的すいていて、クルマの流れもスムーズ。1時間足らずで羽田空港に到着した。トランクから荷物を出しながら「とにかくご無事でお戻りください」と言うのが精いっぱいだった。 「名前を聞くか、名刺をもらえばよかった」 ネットなどで調べて、どんな人なのか知りたいと……。プライベートには立ち入らないのがタクシードライバーの流儀だが、彼女を降ろし、都心に戻る道すがら、私はそんな小さな後悔に駆られていた。そして、こうも願った。「いい出会いだった。機会があったら、もう一度お会いしたい」と。 (内田正治/タクシードライバー)