Twitterの「クソリプ」問題を考える── 個人投資家・山本一郎
この手のCGMと呼ばれるコミュニケーションの場は、面白い人が面白いことをやるところからスタートし、それを面白い人が見て集まってくる、面白い人たちがどんどん面白いことをやるという上昇のスパイラルを起こし、だんだん広まっていって多くの普通の人たちがあそこで面白いことをやっていると認知をして、見物にやってきて場が栄えていきます。 しかし、だんだん普通の人が集まってくると、「面白くない人たちが面白がって面白くないことをやる」ようになり、ノイズとなって、だんだんと面白い人たちが去っていくことになります。このあたりは、コミュニティビジネスのライフサイクルや寿命のところと密接な関係があり、このようなクソリプ問題はTwitterが成熟し、飽きられ始めたというシグナルなのかもしれません。 一方、そういうクソリプを楽しもうというムーブメントも起き始めています。クソリプの晒しや、意図的にクソリプをつけて相手の反応を楽しむという遊び方も提案され、日本独自のTwitterクソリプ文化のようなものに昇華していく可能性もあるのでしょうか。 このようなクソリプの対処法は、広い心でスルーすることです。反応したり反論すること自体が、クソリプの世界に身を委ね、膨大な時間の無駄と精神の疲弊を起こすことになり、強いストレスを感じることになってしまいます。そういうクソリプに真正面から対処しようとして疲れ果て、Twitterを開くのも嫌だというようなPTSD状態になってウェブから離れていってしまうこともあり得ます。mixiでは「mixi疲れ」が社会現象になりましたが、Twitterでは「クソリプ問題」が盛衰のキーになりそうですね。 やはり、リテラシーという点ではウェブ社会にどれだけ身を浸すかという「間合い」をきちんと取ることが、便利なネットを使いこなす秘訣だと言えます。つまらないリプライのようなノイズに時間を割かないという気持ちを強く持って、ウェブ社会を生き抜いていきたいものです。 (山本一郎/個人投資家)