元地方公務員に医師免許取得者――異色の経歴を持つ「くふうハヤテ」の若手投手が目指すドラフト指名
医師国家試験合格を目指して毎日5、6時間の勉強と日々の病院実習と平行してトレーニングを続けた。大学在学中はドラフト指名漏れしたが、くふうハヤテのトライアウト開催を知り挑戦した。無事に合格すると、DeNAを戦力外になった池谷とふたたび同じユニフォームを着て、ともにNPB12球団入りを目指すことになった。 「NPB12球団を目指す勝負は2年間と決めています。くふうハヤテに入団が決まった際、侍ジャパンU15でお世話になった鹿取(義隆)監督からは『プロ野球選手よりも、医者になったほうが良いんじゃないの』と言われましたが、すごく応援してくださっています。 医師を志す道からもう一度、本格的に野球に取り組む環境に戻ってきて、『自分は心底、野球が好きなんだな』と実感することが多くなりました。ここ(くふうハヤテ)は野球を本気で愛して、取り組む人間の集まりなので、より野球に対する愛着を実感します。自分にとっては、生活になくてはならないものが野球です」 3月15日の開幕戦、竹内は早川に続く二番手で初登板した。3回被安打3、与四球4で2失点と結果を残せなかったものの、同日、医師国家試験の合格の知らせが届いた。 「NPB12球団入りを目指す門出の日と、医師を目指す節目、ひとつのゴールを迎えた日が重なったことは、感慨深い気持ちもありました。ただやはり『これからは野球により集中して取り組まなければ』という気の引き締まる思いのほうが強かったですね」 取材時点で、竹内は17試合に登板。当初は中継ぎだったが、5月以降はおもに先発を任されるなどチーム内での存在感を増していた。初勝利はまだお預けだが、取材直近の6月16日のオリックス戦では先発で6回3失点(自責点2)と安定した投球を見せていた。 医学部は6年制のため、大卒1年目のルーキーとはいえすでに25歳。NPB12球団のドラフト指名を目指す年齢としては、若いわけでもない。自身が言うように、夢を叶えるために勝負できる時間は限られている。 最後に、30歳になったときの自分は何をしていると思うか、と聞いてみた。 「なかなか難しい質問ですね(笑)。このチームで結果を残せて上(NPB12球団)の世界に行けたら、もちろん今と同じようにひたすら野球に打ち込んでいる姿も想像できますし......。もしくは医師として独り立ちして働いている。そんな姿も想像できます。今の段階では、もちろん野球に打ち込んでいる姿がベストと考えています」 (つづく) ●早川太貴(はやかわ・だいき) 1999年生まれ、北海道江別市出身。185cm、96㎏。右投右打。小樽商科大卒業後、北広島市役所に就職。公務員として勤務しながら、市職員労働組合では軟式野球部に所属。社会人チームのウィン北広島では硬式野球部に所属した二刀流。くふうハヤテのエースとして、7月のフレッシュオールスター戦にも出場 ●竹内奎人(たけうち・けいと) 1999年生まれ、静岡県出身。181cm、83kg。右投右打。中学時代に侍ジャパンU-15日本代表に選出されW杯7位。静岡高校から群馬大学医学部に進学し、準硬式野球部でプレー。NPB12球団入りを目指し、くふうハヤテに入団。2番手として登板した3月15日の開幕戦と同日に医師国家試験合格の報を受けた 取材・文・撮影/会津泰成