元地方公務員に医師免許取得者――異色の経歴を持つ「くふうハヤテ」の若手投手が目指すドラフト指名
開幕投手を務めた3月15日のオリックス戦では4回7失点(自責点5)とNPB球団の洗礼を浴びて降板したが、同22日の阪神戦では、7回無失点の好投で期待に応え、くふうハヤテ初の勝利投手になった。ちなみに同試合、8回1死1、2塁のピンチで救援して9回まで抑えたのは、早川が開幕戦で落ち込んでいたとき、アドバイスをくれた田中健二朗だった。 早川は続く3回目の登板、3月31日の広島戦では最終回までひとりで投げ抜き(1失点)、これまたチーム初の完投勝利投手になった。4回目の登板でも6回2失点で3連勝を飾るなど同時点ではリーグトップの勝利数を記録し、チームに欠かせない先発投手の座を不動のものにした。 NPB12球団入りを目指し、「1年勝負」と覚悟を決めてくふうハヤテに入団した早川。夢はかつての職場、北広島市役所から徒歩10分の距離にあるエスコンフィールドHOKKAIDOのマウンドで活躍し、公務員時代、過酷な環境で野球を続ける自分を支えてくれた仲間、関係者に恩返しすることだ。 「(12球団にドラフト指名されるためには)奪三振率や防御率など、安定した成績を残せるようになることが必要だと考えています。1イニングで大量失点してしまう試合もあります。そのあたりは改善していかなければと。 球速も、他の1軍で活躍する投手と比べるとまだまだ足りない。僕は投げ方が独特でリリースの位置が前にある。それは相手に球を速く感じさせる要因のひとつでもあるらしいのですが、逆に球速は出にくいフォームでもあるらしいです。一長一短ですけど。そのあたりはすり合わせをしつつトレーニングを積んで、今のフォームを安定させて球速も向上させたいと考えています」 ■医師免許を持つ「静岡のドクターK」 「もともと、両立しようと思って取り組んでいたわけではなく、野球は大学で終わりにして医学の道に打ち込もうと考えていました。大学3年秋、コロナ禍で右肘の手術をして、割と時間のとれる期間があったので、自分の体を見直してトレーニングしました。トレーニングの成果で球速も145キロを超えるなど手応えをつかめたので、そこでもう一度、NPB12球団入りを目指してみようと考えるようになりました」 竹内奎人はこちらの質問に対して明瞭な答えを返す様から頭の良さを感じさせた。日々の練習で日焼けした顔と胸板の厚い逞しい体躯。その姿しか知らない人は、竹内が「医師免許取得者」というもうひとつの顔を持つことは想像できないはずだ。 中学時代に侍ジャパンU-15に選出された竹内は、くふうハヤテの監督、赤堀元之と同じ静岡高校出身。2年秋までエースだったが、同級生の池谷蒼大(元DeNA/現くふうハヤテ)にその座を奪われた。卒業後は東京六大学からの誘いもあるなか、整形外科医を志して群馬大学医学部に進み準硬式野球部に所属した。 大学時代は、練習は週3日で、自主練に付き合ってくれる仲間もいなかった。趣味とまでは言わないが、本気でプロ野球を目指すような仲間も雰囲気も皆無だった。竹内自身も、中学・高校時代のような本気の気持ちではいなかったかもしれない。 NPB12球団にドラフト指名されるという、封印したはずの夢をふたたび追いかけるようになったきっかけは、前述したようにトレーニングで成果が出たこと。もうひとつ、高校時代の仲間でありライバルでもあった池谷が社会人を経てドラフト指名(5位)されたこともあった。