崩御した<一条天皇>その後。なぜ本人は土葬を望んでいた?なのになぜ道長は火葬にした?『光る君へ』で描かれなかった「死してなお愛によりて結ばれ」たかったその想い
大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回は一条天皇の死後について、新刊『女たちの平安後期』を刊行された、日本史学者の榎村寛之さんに解説をしてもらいました。 寝室横で占われた結果を耳にして生きる気力を失った一条天皇。「なぜわざわざ」「嫌がらせ?」と視聴者がツッコむも、その真相は… * * * * * * * ◆一条天皇が亡くなった後のエピソード 『光る君へ』にて、ついに一条天皇が亡くなりました。 一条天皇が亡くなった後の対応について道長たちが語り合った、というエピソードが、藤原実資の日記『小右記』の寛弘八年七月十二日条に記されています。 その日記に書かれていたのは、実資が一条天皇の亡くなった里内裏の一条院に参内し、春宮大夫(東宮。後の後一条天皇付き役所の長官)藤原斉信と中納言藤原隆家らと話していた時、誰かが言い出した話について。 「故院(一条院のことですが、亡くなる前に譲位して出家しているので院、つまり上皇として呼ばれます)が生きていらした時に中宮彰子、左大臣道長や近く仕える人たちに、葬儀は土葬で、円融院法皇(父の円融天皇)の御陵のそばに葬ってほしい」と言っていたのに、うっかり道長が火葬にしてしまった。 そのことを相府、つまり左大臣道長も思い出してため息をつき、しかたがないので遺骨を三年たったら(それまでは方角が悪い)円融陵の傍に移そう、ということになった…というのです。 道長は忘れっぽい、もしくはうっかり者、などと紹介されることもあるエピソードなのですが、はたして本当にそうなのでしょうか。
◆行成は記録せず 一条天皇の葬送については『小右記』や『権記』(藤原行成の日記)もかなり詳しく書いていますが、実資の日記は、養子である資平からの聞き書きでした。実資は「慎む所があって」参加していないのです。 そして行成はこの「うっかり火葬にしちゃった」件については一切書いていません。これは少し不思議です。 宮廷儀礼のことについては誰より詳しい実資なら、通例である火葬ではなく土葬にするという一条天皇の遺言を執行しようと考えるのが普通でしょう。それがないということは、彼は一条の火葬の意向をこの時初めて知ったのだ、ということになります。 一方、道長や彰子以外にこの話を聞いた天皇近習の中には、権中納言で侍従を兼ねていた行成がいてもおかしくないのです。あるいは行成は口をつぐんだのかもしれません。
【関連記事】
- 『光る君へ』次回予告。道長と彰子の間に距離が。「ここは私が歌を詠みたくなるような場ではございませぬ!」と藤壺で言い放つききょう。そして妍子は夫の子・敦明親王に「好・き」と言い寄り…
- 12歳の入内から、70年近くも宮廷の中枢に座った彰子。定子とは一度も顔を合わせたことがない?ライバル「3人の女御」とは?『光る君へ』で描かれなかった<道長の作戦>について
- 『光る君へ』寝室横で占われた結果を耳にして生きる気力を失った一条天皇。「なぜわざわざ」「嫌がらせ?」と視聴者がツッコむも、その真相は…
- 次回の『光る君へ』あらすじ。悲しみに暮れる彰子を慰めるため、まひろは和歌の会を催す。そこに招かれてもいないあの人が現れて…<ネタバレあり>
- 下重暁子 藤原道長からいじめ抜かれた定子を清少納言は懸命に守ったが…紫式部が日記に<清少納言の悪口>を書き連ねた理由を考える【2024年上半期BEST】