優遇求めデモ、相次ぐ暴行事件……インドで根強い「カースト制」の今
インドでは「カースト制」と呼ばれる身分制が、今も生きています。2月には北部ハリヤナ州でカースト制をめぐってデモと暴動が発生し、外出禁止命令が出される事態にまで至りました。新興国として経済成長を続けるインドにとって、カースト制は社会の近代化を妨げる一因になっているといえます。インドのカースト制についてみていきます。 【 フォト・ジャーナル】インドその5~「カーストの呪縛1」 高橋邦典
4階級の「ヴァルナ」と3000の「ジャーティー」
インドのカースト制は、紀元前1500年頃、北西インドに侵入したアーリア人がドラヴィダ人を征服したことに起源をもちます。征服民と被征服民の間の通婚や接触を制限するため、それぞれの民族が閉鎖的な階級に結びつき、これがバラモン教や、後にはヒンドゥー教の教義で権威づけられました。その後、カースト制は7~12世紀頃にかけて、徐々にインド全体で定着したといわれます。15世紀頃、アジアにやってきたポルトガル人たちがこれを「カースト」(ポルトガル語の「階級」)と呼んだことで、この語は広く用いられるようになりました。
インドでは、カースト制は「ヴァルナ」(種族)と「ジャーティ」(生まれ)の観点から区別されています。このうち、ヴァルナはバラモン(司祭)、クシャトリヤ(王侯士族)、ヴァイシャ(庶民)、シュードラ(隷属民)の4つの階級からなります。 このヴァルナとは別に、結婚や職業を規定する区別としてあるのがジャーティです。各ジャーティはいずれかのヴァルナに属し、それぞれに上下関係があります。ヴァルナに含まれない人々はダリット(不可触民)と呼ばれ、社会の底辺に位置づけられてきました。その職業には清掃人、屠畜業者、皮革業者、洗濯人など、「不浄」とみなされるものにかかわる業種が含まれます。インド政府の統計では、不可触民は現在約1億6663万人にのぼり、人口の約16.2%を占めます。 ただし、カースト制は固定的なものではなく、時代や状況に応じて変化しながら続いてきました。例えば、戦争が発生したときには農民の間で兵士にあたるカーストが生まれ、綿織物の輸出が増えたときには新たに裁縫や染色に従事するカーストが生まれるなどしてきました。その結果、現在ではインド全体でのジャーティは3000にも及ぶといわれます。