「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(3)~元号の世界的位置づけ~ 独自の紀年法を持つことの重要性
まもなく平成が終わり、新たな元号の時代がやってきます。日本だけでしか使われていない時代区分ではありますが、新聞やテレビなどで平成を振り返るさまざまな企画が行われるなど、一つの大きな区切りと捉える人が多いようです。その一方で、元号に対して否定的で「西暦に統一したほうがいい」という意見も少なからず聞こえてきます。 そもそも、人はなぜ年を数えるのでしょう。元号という年の数え方に注目が集まっている今だからこそ、人がどのような方法で年を数えてきたのか、それにはどのような意味があるのかについて考えてみるのはいかがでしょうか。 長年、「歴史における時間」について考察し、研究を進めてきた佐藤正幸・山梨大学名誉教授(歴史理論)による「年を数える」ことをテーマとした連載「ホモ・ヒストリクスは年を数える」では、「年を数える」という人間特有の知的行為について、新しい見方を提示していきます。
自国の紀年法は不変だが、世界共通紀年は替わる
日本の場合、「平成31年・己亥・2019年」という3種類の異なる紀年法を併用することが、多くの日本人の要求を満たしてくれると考えられる。「平成31年」が自国の紀年法、「己亥(キガイ・つちのとい)」は漢字文化圏共通の干支紀年法、「2019年」が今現在世界共通のキリスト教紀年法である。 干支紀年法は、西暦が広範に使用されるまでは、東アジア世界の共通紀年法として使用されてきた。近世以前の日本においては、年号と干支の併記が多く使用されていた。この二つを併用することにより、近世以前の東アジアでは、「今が何年なのか」という絶対年代を特定することができたのである。 明治以降に関しては、日本の新聞の元号表記の変遷をたどってみたい。紙媒体の日本語の新聞を読むと、欄外の一番上に「2019年(平成31年)1月1日火曜日」という年月日表記がある。これは、ほとんどの新聞に共通である。 日本の新聞の年月日表記の変遷は次のようである。1946年12月31日までは「昭和21年12月31日」のように、年号表記だけであった。 それが変わったのは1947年1月1日だ。「昭和22年(1947年)1月1日」のように、初めは元号の後に西暦を括弧で続ける表記法だった。 元号と西暦の順序が入れ替わったのはそれからおよそ30年後のことだ。朝日新聞が1976(昭和51)年1月1日号からそれまでとは反対に西暦に続けて年号を括弧に入れる併記方式を開始。その後、毎日新聞が1978(昭和53)年から、読売新聞が1988(昭和63)年から、それぞれ同様の方式を採用した。産経新聞は現在でも元号の後に西暦を括弧で続ける表記法を採用している。今現在の、オンライン・デジタル新聞を見渡してみると「2019年1月1日(火)」のように、西暦だけで表記される新聞が主流派を占める。 日本の新聞の年月日表記の変遷を明治初年から現在までたどると、元号 → 元号に西暦を括弧付きで併記 → 西暦に元号を括弧付きで併記、そして現在のデジタル新聞では西暦のみの表記である。この変遷だけ見ても、日本の国際化の度合いが反映されていて興味がつきない。年月日表記法という小さな穴から世界をのぞいてみると、案外と日本人の国際感覚がどのようなものであったかが見て取れるように思える。 日本は、幸いなことに、三つの紀年法を持ちあわせている、豊かな紀年文化を持つ国であるといえる。そして、この3種類を、紀年が使用される状況に合わせてこれまで使い分けてきた歴史がある。 東アジアは別名「漢字文化圏」と呼ばれる地域なので、今年の干支である「己亥」は、中国や台湾、韓国、ベトナムなどに行っても使用されており、東アジア共通紀年であることが分かる。年号制を廃止した中国でも人民日報は、依然として、公元(=キリスト紀年)と共に干支紀年、及び旧暦を新聞の1ページ目に掲載している。どこかに過去との連続を残しているのは、人間にとって伝統は断ち切り難いものであることを示しているといえるかもしれない。 注意が必要なのは、英語を世界共通語としているインターネット上のニュース・新聞の紀年表記は、ほとんどがキリスト紀年のみを使用しているが、だからといって、世界中がキリスト紀年だけを使用しているなどと誤解しないようにすることだろう。世界共通紀年という概念が存在する前提には、各国や各文化圏に独自の紀年法が存在しているということを忘れてはならない。