モータースポーツを続ける最大の意義は、人材育成にこそあるんです【株式会社キャロッセ代表取締役社長 長瀬 努氏:TOP interview】
競技用のパーツからスタートした品質の高さが強みのキャロッセ
2009年より株式会社キャロッセの代表取締役社長を務める長瀬 努氏。JAF全日本ジムカーナ選手権に参戦し、1990年、1992年、1999年と3度のC1クラスシリーズチャンピオンを獲得。創業者でラリードライバーだった加勢裕二氏の意思を受け継ぐには、長瀬氏ほど適した人物もいないだろう。そんな長瀬氏は根っからのカーガイである。ラリーなどのレースで使用するパーツをつくることから始まったキャロッセであるが、いまでは競技用だけでなくクルマ好きからも支持されるカスタムパーツまでもラインアップしている。それは、長瀬氏自身がクルマ好き一般ユーザーのパッションにシンパシーを感じられるからであろう。 【画像】根っからのカーガイだった! 長瀬氏「愛車」を見る(全21枚)
長瀬 努氏のクルマ遍歴
おそらく、長瀬氏は当シリーズでもっとも長くなるであろうクルマ遍歴の持ち主であった。そこで、いつものように、一番最初の自分のクルマと、「いいな」と思ったクルマについて伺うことにした。 「最初の愛車は、ハコスカです。18歳でしたね、高校2年生のときです。実は免許をとる前にクルマを買ってしまったんです。当時のハコスカって、現在みたいに高額ではなくて、普通の、というか安い中古車の1台だったんです。その頃バイクに乗っていて、そのバイクを売ったお金でハコスカを買ったことを覚えています。確か20万円しなかったと思います。 基本的にスカイラインが好きだったんです。当時の最新モデルはジャパン(5代目C210型)。新車は百数十万円で、とんでもなく高くて、ハコスカの中古しか選択肢になかったという……。 このハコスカは6年ほど持っていました。手に入れたときはノーマル状態だったんですけど、足回りを中心にタイヤやホイール、ショックやバネを交換しましたね。当時はインターネットなんてないですから、ショックやバネを交換するだけでも大変な思いをしましたよ。ジャッキで上げてショックを外すことはできても、バネを組むことができなかったり……。バネを縮めることができないもんだから、入れることができないんです。それで短いバネを買って入れてみたり……。バネを切る道具もありませんでしたしね。 私は群馬の西の方の出身なので、軽井沢に行く途中の内山峠というのがあるんですけど、そこによく走りに行ってましたね」
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