モータースポーツを続ける最大の意義は、人材育成にこそあるんです【株式会社キャロッセ代表取締役社長 長瀬 努氏:TOP interview】
山を走るだけでは飽き足らず、すぐに競技の世界へ
長瀬氏は高校を卒業してから整備士として2年働き、現在でいうカーショップのようなところに勤め、1989年にキャロッセに入社する。それまでは峠を走ったりダートラやジムカーナに夢中になっていたそうだ。どうして長瀬氏は峠から競技へと走るステージを広げていったのだろうか。 「山を走っていても、順番、順位はつかないじゃないですか。だから、順位がつくのをやってみたいと思って、ダートラから始めたんです。ちょうど丸和オートランド那須ができたタイミングで始めました。そこでの最初のイベントとかに出走してたんです。チェリーのX-1Rでダートラはじめて、一番最初に転がって廃車にしたのもX-1Rですね。それからEP71スターレットはターボも乗りました。AE86は新車で3台くらい買ってます。それで、これではお金がかかって仕方ないということで、ジムカーナに。ダートラはクルマもボコボコになりますし。 18歳から27歳くらいまでは、稼いだお金はすべてクルマに注いでましたね。当時はみんな新車に乗るという風潮でしたし。最後は3ドアのレビンGTVを買ったと思うんですけど、子どもが生まれたので手放しました」 最初のハコスカはクルマ自体が好きだったこともあって手放すことなく、サニーGX-5やシビック、チェリーX-1Rなどいろいろなクルマに乗ったそうだ。その理由は、峠に行くとギャランやサニーにハコスカでは全然勝負にならなかったから。社会人になってからは速かろうと思われるクルマは絶えず手に入れて乗っていたそうで、とにかく、手に入れて乗ってみないと気が済まない。このように長瀬氏を駆り立てるものは何だろうか。 「いろんなクルマに乗って、いろんなセンサーを磨くというか……。みんなから速いと言われるクルマとか楽しいと言われるクルマはすべて乗ってみようっていう感じがありました、当時は。だからずいぶん仕事をしました。妻からは、そのせいですべての貯金がなくなったと言われますけど……。 よいクルマの条件は人それぞれだと思うのですが、どうして人がよいと言うのか分からないんです、乗ってみないと。それも借りて乗るぐらいだと全ては分からなくて。自分のクルマとして所有して、何がいい・悪いとか、何をいじってみようとか、どんなホイールが似合うんだろうとか考えないと。それでひと通りすると、また次に行くんですよね」
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