三十一文字の往還 【コラム カニササレアヤコの NEWS箸休め】
人に貸した本が返ってきた。貸した本が返ってくることなんて、雷鳥ぐらい珍しい。笹井宏之の『えーえんとくちから』という短歌集。「みんなさかな、みんな責任感、みんな再結成されたバンドのドラム」という歌を読んで、とあるバンドに途中加入して20年になるドラマーの友人のことを思い出し、この本を貸した。 笹井は2009年の冬、26年という短い生涯の幕を閉じた。身体表現性障害という難病で「自分以外のすべてのものが、ぼくの意識とは関係なく、毒であるような状態」(『えーえんとくちから』あとがきより)に向き合いながら、療養生活の中で歌を詠み続けた。 「スカートかズボンかわからないものを身につけている目黒区の人」 「胃のなかでくだもの死んでしまったら、人ってときに墓なんですね」 笹井の短歌はときに可愛(かわい)らしく、ユーモアを含んでいて、しかし時折ハッとさせるような視点を突きつける。自分がどの世界にいるのか分からなくなるような浮遊感。 最近では短歌がインターネット・SNS上でも人気になっている。好きな短歌をキーホルダーやアクセサリーにして身に着ける人も出てきているようだ。なぜ人は今も昔も、それほどまでに短歌に惹かれるのか。プログラミングをする身としては、短歌は情報の圧縮装置だと思う。31文字、62バイトほどの容量の中に、到底収まりきらないような感情、記憶、景色が刻まれている。 友人に死のうとした人がいた。冬の頃、色々なことが耐えられなくなったのだそうだ。でも、「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ」という西行の和歌を思い出して、自分も死ぬなら春、桜を見てからがいいと思って延期した。その話を聞いたのは夏。春になる頃には状況が一変して、また生きる気力を取り戻したようだった。800年以上も前に編まれた言葉が、今でも誰かを生かしている。 本を贈ったり貸したりするのはとても親密な行為だと思う。言葉は人を生かしも殺しもする。この本はきっとあなたに合う、この言葉がきっとあなたに寄り添ってくれる、そう思って本をやり取りすることの温かさ。 今日ピアノの蓋(ふた)を開けたら、一冊の本が出てきた。宮地尚子の『傷を愛せるか』。精神科の臨床医師である筆者が綴(つづ)るエッセイ。とても良い本だった。心理の仕事をする友人が貸してくれた。返すためにまた会う機会を作らなければ。ページをめくりながら、その人のことを思い出す。 【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 51からの転載】 かにさされ・あやこ お笑い芸人・ロボットエンジニア。1994年神奈川県出身。早稲田大学文化構想学部卒業。人型ロボット「Pepper(ペッパー)」のアプリ開発などに携わる一方で、日本の伝統音楽「雅楽」を演奏し雅楽器の笙(しょう)を使ったネタで芸人として活動している。「R-1ぐらんぷり2018」決勝、「笑点特大号」などの番組に出演。2022年東京藝術大学邦楽科に進学。