ライフセーバーの世界大会に挑む日本代表キャプテンの想い「競技を通して、未来の海を変える」
大手コンサルに就職し二足の草鞋の生活へ
生まれ育ったのは湘南・鵠沼海岸。父親がサーファーであることからも幼少期から海を身近に暮らし、小学2年生から地元の西浜サーフライフセービングクラブ(西浜SLSC)に所属した。 そのライフスタイルをベースとして、大学では環境と社会や情報などの関わりを学びたいと慶應義塾大学の環境情報学部へ。そして4年時に「ワールドゲームズ」での出来事に遭い、就職先を大手コンサルティングファームとすることに。 「あのとき、競技で結果を出しても、伝えてくれる人がいないのだと痛感したんです。 もともとライフセービング自体が広く普及していないことや、水辺の安全とリスクに対する一般的な意識の低さが気になってはいました。だから競技を頑張れば状況を変えられると。 ですが実際はメディアとのコミュニケーション不足や、組織や活動を戦略的に推進させられる文化がないといった僕ら側の問題も感じたのです。日本のライフセービングの進化にはコンサル的な視点が必須。 その気付きがあって、協会に貢献できる人材になりたいと強く思うことができました」。 卒業後はスポーツ本部副本部長として協会にも携わりつつライフセーバーとコンサルタントの二足の草鞋を履く生活へ。その実、会社員としての日々は大いに刺激になるという。 「大前提として、会社の深い理解があって海での活動ができています。そのうえで、資料作成ひとつとっても、日常業務で参考になることはとても多いと感じています。 それに今、スポーツ×地方創生という文脈のコンサル業務に取り組んでいるんです。地域や行政における課題をひもとき、スポーツが地域に還元できることは何かと思考しプロジェクトを構築するのですが、これまでのキャリアがあるからスポーツの利点を考えられる。 コンサルタントとしてのキャリアはまだまだですが、やがて相互の専門性を活かし合えるプランを創出し、ライフセービングにも還元できるようになりたいですね」。 日本の海辺の町の多くは少子高齢化、人材流出にあえいでいる。 夏だけ設置される海水浴場へ来る人の数も減少。海水浴場文化によるビジネスモデルに変革期が訪れているといえ、通年で海のプレゼンスを向上させる施策が必要だと上野さんは説く。 大切なのは多くの人が楽しく過ごせる海であることだ。そしてその変化の中心的な役割を、地域社会に根ざし、水辺の安全を担保するライフセーバーが担えるのではないかと、そう考えている。