誰がラムセス3世を殺したのか? ついに解かれた古代エジプト「3000年の謎」
「最後の偉大な王」、19世紀に見つかった暗殺計画「後宮の陰謀」とその結末
陰謀を企む妻たち。叫び声を上げるミイラ。何世紀にもわたる憶測。紀元前1155年ごろ、古代エジプトのファラオであるラムセス3世を暗殺しようと企てた、いわゆる「後宮の陰謀」にまつわる疑問は3000年以上も続いてきた。後継者争いによる陰謀はまるで現実の『ゲーム・オブ・スローンズ』のようだが、現代の考古学者たちがこの謎を解き明かした方法は探偵番組顔負けだ。 ギャラリー:「叫ぶミイラ」ほか、誰がラムセス3世を殺したのか 写真と画像4点 歴史家たちは、この陰謀がラムセス3世の二人の息子(主妃ティティの息子と妃ティイの息子)の対立によって引き起こされたことは知っていた。しかし、陰謀の詳細や、実際にラムセス3世が殺害されたかどうかは、最新の技術が解決するまで歴史上最も興味深い未解決事件の一つだった。 消える運命にあった古代帝国の「最後の偉大な王」、ラムセス3世に本当は何が起こったのだろうか? これは、考古学者たちがどのようにして「後宮の陰謀」の真相を明らかにし、何世紀にもわたる謎に終止符を打ち、古代エジプトの王族の生活がどれほど残酷だったかを解き明かす物語だ。
古代の殺人ミステリーに出くわす
19世紀にヨーロッパの収集家たちが古代の遺物を求めてエジプトに大挙して訪れたときには、ラムセス3世の王妃たちの陰謀の記憶は、時の彼方へと消え去ってしまっていた。 1822年にロゼッタストーンが新たに解読されると、考古学者たちは古代の碑文やヒエログリフも解読しようと躍起になった。特に彼らの興味をかき立てたのは、1820年代に発見された長さ約5.4メートルにも及ぶ紀元前12世紀の司法文書だ。 地元の市場で購入されたこのパピルス文書には、エジプトのファラオに対する陰謀が王室の後宮で計画されたと記されていた。クーデター失敗後の反逆罪の裁判まで詳しく記録され、ラムセス3世の妃の一人であるティイと彼女の息子ペンタウアーが名指しで非難されていた。
子どもは約100人、王位継承者が13人死亡
他のファラオたちと同様に、ラムセス3世には主妃のティティがおり、多くの側妃が子どもや使用人とともに王室の後宮で暮らしていた。後宮はファラオの権力と影響力の象徴であり、主に王朝と後継者の問題についての政治的な活動の温床でもあった。 ラムセス3世の妃たちは多くの後継者を産み、子どもは約100人いたとされている。しかし、ラムセス3世の存命中に王位継承権を持つ息子が12人も亡くなったため、後継者の指名は簡単ではなかった。紀元前1164年にはさらにもう一人の皇太子が亡くなると、ティティの若い息子が後継者に指名された。 パピルス文書によれば、側妃の一人であるティイは、自分の息子ペンタウアーを代わりに後継者にしたがった。そこで、他の妃たちやラムセス3世の医師など、後宮内の有力者や王室メンバーの助けを借りることにした。 この文書には、陰謀に加担したとして告発された男性の名前がすべて記されていたが、女性の名前はティイ一人だけだ。また、共謀者たちがラムセス3世を殺せたかどうかについては記載がなく、被告人の名前も歪められて省略されている。そのため、現代の研究者たちはこれを「沈黙の実践」と呼んでいる。