「孤高の外政家」高村正彦が見せた力量――官僚主導から政治主導の30年を振り返る
令和日本のリーダーを選ぶ
ところで、かつて権威の絶頂にあった官界に目を転じれば、見たこともない惨状を呈している。私の出身官庁である外務省も、毎年3割近い外交官が辞めていく。お隣の経済産業省では、もっと離職率が高いという。官界を志す者は、公に尽くしたいという情熱を持って入ってくる。しかし、役所に入ってみれば、毎晩、午前2時、3時まで、政局遊戯に明け暮れて、金と政治に絡んで同じような質問を繰り返す国会議員の答弁作成作業に忙殺される。彼らは、金のために官僚になったのではない。公に尽くすためである。日本もまだまだ捨てたものではない。金よりも公に尽くすことの方が人生の意義があると考える若者は多い。 どんなに国会答弁作成作業が大変でも、それで国政が動くのなら、幾晩、徹夜しても構わないと思うであろう。しかし、実際の国会の議論は、日本が直面する諸問題から遊離した政局遊戯である。中国の台頭、少子高齢化、累積財政赤字と、日本国の屋台骨が揺らいでいる最中に、政局ネタばかりが盛り上がる。政治メディアが周りで踊る。 冷戦崩壊時、官僚主導を打ち壊して、政治主導に切り替えると見えを切った政治家の平均レベルは、残念ながら当時のまま変わらない。現在、若くして政界に入った政治家には優秀な人がとても多い。彼らは、冷戦終結後の日本しか知らない。若い力で日本を変えたいという情熱をもっている。しかし、彼らは実力が発揮できない。官界では、50歳から60歳と言えば、心身ともに充実し、人脈も広がり、思い切り仕事をやれる男盛り、女盛りの世代である。しかし、定年の無い政界では「ひよっこ」も同然である。若い優秀な政治家が力を出せなければ、この国は変わらない。官僚は、意気消沈して、能力のある者がたくさん職場を去っていく。今、政治主導は実体を欠き、官僚は逼塞し、日本政府の統治能力、政策企画立案能力は、おそらく戦後最低の水準にある。 高村氏のような、官僚には持ち得ない大局観を備え、実際に政治を動かせる政治家に、もっと出てきて欲しい。そうした政治家が増えれば、官僚もやりがいを持って働けるようになるだろう。このままでは、日本は坂道を転げ落ちる。政治家、官僚に限らず多くの国民に『冷戦後の日本外交』を読んでもらい、令和の日本国を指導できる人を選んでほしいと願うばかりである。 ◎兼原信克(かねはら・のぶかつ) 1959年生まれ。同志社大学特別客員教授、笹川平和財団常務理事。東京大学法学部を卒業後、1981年に外務省に入省。フランス国立行政学院(ENA)で研修の後、ブリュッセル、ニューヨーク、ワシントン、ソウルなどで在外勤務。2012年、外務省国際法局長から内閣官房副長官補(外政担当)に転じる。2014年から新設の国家安全保障局次長も兼務。2019年に退官。著書・共著に『歴史の教訓――「失敗の本質」と国家戦略』『日本の対中大戦略』『自衛隊最高幹部が語る令和の国防』『核兵器について、本音で話そう』などがある。
兼原信克