「孤高の外政家」高村正彦が見せた力量――官僚主導から政治主導の30年を振り返る
もう天は回らない
今年で、安倍総理が凶弾に斃れてから2年になる。強力なリーダーシップで日本を率いてきた安倍総理が斃れ、高村副総裁も第一線から退き、ダイナミックな政治主導は消えた。回天の運気が消えた。今、再び、湿って淀んだ空気が日本を覆う。世の中がこれほど動いているのに、日本の国会では金と政治の話しかできない。立憲民主党左派は相変わらず「アンポ反対」「自衛隊イケン」と声を張り上げる。他の多くの野党は日米同盟を支持するから、野党は決して結集できない。野党がバラバラなのを見て、自民党は権力の上に胡坐をかく。厳しい現実から目を背けてバラマキ財政を続ける。既に、将来の子供たちの肩の上に、1315兆円の借金が積み上がっている。 高度経済成長時代には、無限に入ってくる税収をバラ撒くことで、社会の様々な問題を解決していくことができた。しかし、90年代から税収は急減したにもかかわらず、バラマキ財政は続き、政府の支出は増える一方である。国難ともいうべきパンデミック対策では、政府はいきなり100兆円をバラまいた。これで財務省の財布のひもが切れてしまった。政界からは相変わらず強烈なバラマキ圧力がかかる。一旦失った財政規律を復活させることは、非常に難しい。 空想の平和にしがみつく立憲民主党左派と、高度成長の夢に浸り予算のバラまきで権力にしがみ付く自民党という構図は、かつての55年体制のままである。既に死語となった55年体制が、未だに瘡蓋のようになって日本の政治にこびりついている。 私の教えている同志社大学のある学生は、「先生、世は幕末ですね」と言いきった。彼らは政治に無関心なのではない。今の政治に絶望しているのである。「何も変わらない。日本がどんどん駄目になる」と感じている。政治家志望の学生が、毎年、教え子の中に必ず何人かいる。彼らは、地盤も看板もないままに、細い体で政界に飛び込んでいく。「自分たちが変えるしかない」と、幼心を打ち震わせているのである。 今の若者は、所属する組織を信用しない。大企業に就職しても、コピー取りだのなんだのと雑巾がけばかりである。「その内、リストラされれば、自分はただの産業廃棄物になる」と恐怖している。彼らは、自立心が高い。自らの能力を磨くことにしか関心がない。良い職場があれば、迷わず転職する。最近は、スタートアップ企業の成功例も多い。ソフトウェア開発は、巨額の投資を必要としない。コンピューターがあれば誰でもできる。若くして大成功する者もいる。若人が、リスクを伴っても、初めから能力を全開にして自分を試せる職場を目指すのには理由があるのである。