「孤高の外政家」高村正彦が見せた力量――官僚主導から政治主導の30年を振り返る
目覚める国民主権
国内冷戦の重いくびきを外された日本民主主義は息を吹き返した。日本国民は、「西に行くか、東に行くか」という一次元の体制選択論争から解放され、主権を行使し始めた。冷戦後、自由民主党は2度政権を失い、衆議院と参議院が多数党を異にする「ねじれ現象」がたびたび起きた。国民は、社会党に愛想をつかしただけではなく、長期に政権を担当し、金権腐敗にまみれた自民党にも辟易していたからである。 国民が目覚め、政治が活性化した。そのころのある日、外務政務官から「これからは、俺たちが決めるんだよ」と言われた。官僚主導の政治が終わったのだと直感した。安倍晋三議員等、若手議員集団が政策を立案すると息巻いて「政策新人類」と呼ばれた。ある外務省の後輩は、「結局、試験に受かるより、選挙に受かった方が偉いんですよ。日本は民主主義国家なんですから」と言って、官僚主導の政治を当然視していた私たち中堅幹部をはっとさせた。 戦後初めて自民党を野党に突き落とした細川護熙総理が率いた非自民・非共産の8党連立政権は、これまでのように役所の幹部が、自民党幹事長、総務会長、政調会長に挨拶に行きさえすれば、次官会議で決定した法律案も予算案も、全く無傷で国会を通せるという時代を終わらせた。8党の与党に総務会、政務調査会があるのだから、その調整は困難を極めた。しかし、そもそも与党間調整を官僚がやっていたこと自体が、民主主義国家として不正常だったのである。それは本来、政治家の仕事である。 その後、自民党が権力を取り返し、自民党自体を「ぶっ壊す」と叫ぶ小泉純一郎総理が登場し、国民の圧倒的な支持を受けた。小泉総理は、道路、郵政等、自民党竹下派支配の下での金権政治の牙城を突き崩していった。政官財が合体した鋼鉄製の政治システムが壊れていった。絶対に変わらないと思ったものが変わっていった。山が動き、空が回った。混乱の中で「民主主義が胎動している」という実感があった。