「孤高の外政家」高村正彦が見せた力量――官僚主導から政治主導の30年を振り返る
リーダーとしての総理大臣
総理大臣が、日本政治の頂点であり、中心であり始めた。政治主導の下に、各省庁の力を組み合わせ、政府の総合力を絞り出すのが総理官邸の本来の仕事である。しかし、実際には、あたかも立憲君主である宮中の天皇のように、実権の無い総理大臣が多かった。それに反発した自民党の有力政治家も多い。橋本龍太郎総理の行政改革以来、総理大臣のリーダーシップを強くしようとする動きが連綿と続いてきた。戦後政治における政治主導の復権である。森内閣で実現した総理大臣の閣議での発議権の成文化や、内閣官房の企画調整権限の強化は、その端的な現れである。 総理官邸の力は、橋本、小渕政権から30年余、加速度的に強化されてきた。予算編成においては総理の「骨太の方針」が基本方針となり、地下鉄サリン事件、阪神大震災を経て「事態室」とよばれる危機管理チームが長足の発展を遂げた。安倍政権では外交と軍事の司令塔として、国家安全保障会議(NSC)が設置された。 強化された総理官邸を見事に差配して見せたのは、安倍晋三総理とそのチームである。総理を支える番頭の官房長官には官界に睨みを利かせた菅義偉氏が座り、財政金融を担当する最強閣僚である財務大臣には、副総理を兼務して総理経験者の麻生太郎氏が座った。党では、集団的自衛権行使のための憲法解釈変更を実現するべく、高村正彦元外務大臣が副総裁のポストに陣取った。官界の頂点には杉田和博副長官が座り、その右腕として古谷一之内政担当副長官補が座った。国家権力の頂点が動き始めた。火山の噴火に似て、そこから溢れ出てくる溶岩流が日本を動かし始めた。
国民という「お化け」を呼び出す
安倍総理は、小泉総理の愛弟子として、国民に直接語りかける総理だった。国民は「お化け」である。官僚の精緻を極めた議論も、政治家のどろどろした利益調整も、国民には関係がない。しかし、ひとたび国民が立ち上がれば、まるで津波のように、官界の抵抗も利益団体の抵抗も虚しく、全てを暴流のように押し流していく。最後には、政府さえも押し流していく。国民という「お化け」を呼び出して、その力を借りて国を動かしていくのが本当の政治家である。現代民主主義における指導者の条件は、優れたコミュニケーターであることである。大きな課題を成し遂げるためには、国民という「お化け」を呼び出さなくてはならない。そのためには、国民世論という風を呼び、政局という波を起こす必要がある。 政治主導の世界では、政治家個人の力量が試される。官僚主導の時代には、政府とは遊園地にある自動運転の子供列車と同じだった。機関士は誰でもよかった。当選回数と派閥の均衡だけが選考基準となって閣僚が選ばれた。全て官僚組織というコンピューターが制御していたからである。しかし、官僚組織のコンピューターは縦割りである。政府全体を統御する仕組みは、総理官邸にしかない。総理官邸は、官界と政界と国民を繋ぐ場所である。官僚が支配できるところではない。総理の強力な指導力との下に、優秀な閣僚や党幹部が揃えば、縦割りの世界に安住する官僚には決して出すことのできない国家の総合力を発揮することができる。 真に実力のある政治家、スター政治家が、自らの力で国家を運営する時代になった。個々の政治家が、国家の命運を変える時代である。明治のような志士の時代である。例えば、第二次安倍政権発足時、3度目の外相就任を断り、あえて党副総裁の座を選んで、集団的自衛権行使の実現に、残る政治家人生の全てを捧げた高村正彦元外相の存在があった。高村氏は、人知れず北側一雄元公明党副代表と数十回の会合を重ね、歴史に残る憲法解釈変更を成就させた。 高村氏は2度の外務大臣在任中に、日中関係の基本4文書のうち、2つの制定に関わっている(1998年の小渕内閣時代の日中共同宣言、2008年の福田内閣時代の日中共同声明)。その一方で、小渕内閣の外務大臣として周辺事態法の制定に務めるなど、日米同盟の強化にも一貫して尽力してきた。近刊の『冷戦後の日本外交』でも、世界の趨勢と日本の立場を明確に見抜く戦略眼は際立っている。 高村氏は長州人の血を引く。徳川幕府時代に冷飯を食い続けた長州人は、権力を信じない。うまい汁を吸おうとして、権力にべたべたしようという発想自体がない。金よりも名誉よりも公のために己を捨てるのが長州志士である。岸信介総理以来久しく見ることのなかった長州人らしい外政家が久々に登場した。安倍晋三総理、そして高村正彦外相である。