福島原発事故、国策に抗った元町長「孤高の闘い」。1審だけで9年、「井戸川裁判」傍聴記(前編)
世間の関心が低い理由は、13年が経って事故の恐怖が風化したこと以外にもある。 最高裁判所は2022年6月、原発事故被害者の集団訴訟について国の責任を認めない判決を下した。原発事故の被害者が国と東電を相手取り損害賠償を求めるという訴訟の大枠は井戸川裁判も共通している。 そのため、最高裁の判決以降、下級審が最高裁に背く判決を出すはずがなく、井戸川一人がいくら頑張ったところで意味がないとみなされている。そして社会が関心を持たない最大の理由は、井戸川が「双葉町長だった自分にしかできない闘い」を貫いた結果、双葉の民だけではなく、支える弁護士たちまでが離反し、文字通り孤立無援に陥っていることにある。
原発事故の発生直後、井戸川は混乱を極めていた国や福島県を見限り、独自につてをたどって埼玉に避難民を導いた。だが、原発の炉心の状態が落ち着いてくると、すぐさま国と福島県は反攻に転じ、「福島復興」の名の下に一方的な政策を繰り出していく。 国は避難指示と連動する東電による賠償の基準である「中間指針」を策定。さらに避難指示の早期解除のため放射性物質で汚染された住宅などの除染を進め、剥ぎ取った汚染土を運び込む中間貯蔵施設を、双葉町に置くことを計画した。
井戸川は避難指示区域の再編、中間指針、中間貯蔵施設といった政府の方針を「受け入れる理由がない」と拒んだが、足元から切り崩された。双葉町議会は2012年12月、町長不信任決議案を全会一致で可決。井戸川は翌年2月、町長辞職に追い込まれたのである。 ■福島県知事選に出馬、国策の誤りを訴える それでも井戸川は闘い続けた。 2014年10月には勝つ見込みがないと知りつつ福島県知事選挙に立候補した。選挙の場を借りて国策の誤りと復興の欺瞞を広く伝える狙いだった。井戸川は知事選の告示日、福島県いわき市内の仮設住宅で、部屋から出てこない双葉町民に向けて声を張り上げた。