<高校サッカー>現場復帰の71歳名将・小嶺監督がイズムを貫き1勝!
勝利を告げる主審のホイッスルが鳴り響いた瞬間、ベンチ前のテクニカルエリアで戦況を見守っていた長崎総科大学附属(長崎県)の小嶺忠敏監督は右手で小さなガッツポーズを作りながら、左手でピッチのなかの選手たちへエールを送った。 大会2日目を迎えた31日の第95回全国高校サッカー選手権大会。DFタビナス・ジェファーソン(川崎フロンターレ)、GK茂木秀(セレッソ大阪)と2人のJクラブ内定者を要する桐光学園(神奈川県)と等々力陸上競技場で対峙した長崎総科大学附属は、攻守両面で運動量あふれる爽快かつ豪快なサッカーを展開。前後半に1点ずつを奪う快勝で、長崎県勢として4大会ぶりに初戦を突破した。 「試合内容で負けて、勝負に勝ったようなものだね。よく最後の最後まで頑張って、集中力を切らさなかった。正直言って内容は桐光さんの方が上だったけど、選手たち一人ひとりが自分の能力に応じた仕事をしてくれた。今年のチームは集中力しか取り柄がない。これが切れたときは大概負けているけど、続く限りはある程度、チームとしては機能するかな」 穏やかな表情と口調で勝利を振り返った小嶺監督の存在が、否が応でもクローズアップされる。 母校の島原商業を全国大会の常連に育て上げ、1984年に赴任した国見では戦後最多タイとなる6度の選手権優勝を達成。FW大久保嘉人(川崎)を筆頭に数多くのJリーガーを育てあげ、日本代表に送り込んだ名将が長崎総科大学附属で“現場復帰”を果たしたのは、70歳だった2015年の夏だった。 国見を定年退職したのが2006年3月。その後は長崎総科大学の特任教授として教鞭を取り、2007年11月からは同附属高の総監督も務めてきたが、生徒たちを直接指導する形とは距離を置いた状態が続いていた。なぜ古希を迎えて監督に戻ったのか。 「私が国見を辞めてから、長崎県のチームがずっと九州大会の決勝まで行っていない。それで周囲から長崎県のレベルをもう一度、全国で戦えるまでに上げてくれ、監督やリーダーとはどんなものなのかをみんなに見せてくれと言われましてね。じゃあ本格的に最前線でやるかと」 早朝練習から孫ほどに年齢の離れた部員たちと真正面から向き合う日々は、超のつくベテラン監督をして 「もう楽しくて、楽しくて」と言わしめるほど刺激に満ちていた。もっとも、かつて大久保や平山相太らを育てたときのように、徹底的なフィジカルトレーニングを課すわけにもいかないと笑う。 「皆さんは私が鬼みたいに言いますけど、確かに20年前、30年前はそうでした。だけど、いまの時代にそれをやったらみんな辞めてしまうし、故障者だらけでチームになりません。この時代に合わせて、負荷をだんだんと上げていかないと」