「あまちゃん」登場〝南部ダイバー〟の父 憧れる息子に「継いではいけない」 導き出した将来の夢
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。 【画像】70キロ以上の重り…南部ダイバーが潜水する様子
「南部ダイバー」は常に危険と隣り合わせ
父は誰より格好良かった。幼いころから憧れていた。 分厚いヘルメットをかぶり、宇宙飛行士みたいな格好をして、海に潜ってホヤを取る。 岩手県洋野町出身の磯崎貴文さん(22)の父・元勝さん(64)の職業は「南部ダイバー」。 NHK連続テレビ小説「あまちゃん」で有名になった、岩手北部に伝わるヘルメット式の潜水士だ。 元勝さんは、潜水一筋46年。 「南部もぐり」は約120年前、洋野町の沖合で船が座礁した時、優れた潜水技術を学んだ磯崎定吉が地域に広めた。 元勝さんはその子孫にあたる。 重さ70キロ以上の重りや潜水服を身につけ、船上からホースでヘルメット内に空気を送り込んで潜る。 常に危険と隣り合わせだ。 仕事に出る前、父はいつもピリピリしていた。 家族もその危険さを熟知し、大きな背中を見送った。 その張り詰めた威厳も、貴文さんは好きだった。 だから中学3年の時、父から「潜水士を継いではいけない」と言われ、貴文さんはショックを受けた。 「どうして僕じゃダメなのか?」
震災直後の海、視界が1メートルもなく…
父が決断した理由の一つが、東日本大震災だった。 あの日、元勝さんは午前中にホヤ漁を終え、自宅にいた。 船は沖に出すことができたが、倉庫で保管していた潜水服や機材は流された。 再び海に潜れたのは、約1カ月後。 「暗い……」。冬場なら20メートル先が見える海の視界が1メートルもない。 流出した土砂が光を遮り、海底のあちこちに建物の屋根や養殖施設の水槽が転がっていた。
潜水士か医師、息子の選択は…
「これが大自然の力なのか……」。家族が暮らす洋野町では犠牲者は出なかったが、若いころに仕事をした宮城県の南三陸町や女川町では、多くの人が亡くなっていた。 学業が優秀だった息子は、自宅近くで津波を見ている。 将来の夢を聞くと「潜水士か医師になりたい」と答えていた。 ならば、この東北で一人でも多くの命を救えるよう、医師の道を歩ませた方がいいのではないか。 伝統をつなぐことも大事だが、愛すべき地域を守るために、医師を育てることも必要なのではないか。 貴文さんは父の意をくみ、潜水を学べる地元の高校ではなく青森県の進学校を受験し、弘前大医学部に進学した。