原監督が阿部ヘッド代行を決断した背景に見えた独走の秘密
5回だ。13日に登録された田中と、12日に1軍昇格された立岡の生き残りをかけた「7、8番」が阪神に引導を渡す。無死一、二塁から田中がタイムリーを放つと、続く立岡がライトスタンドへ目の覚めるような3ランホームランを放り込んだ。もちろん今季1号。 実は、この打席に向かう前、ベンチ前で阿部ヘッド代行からアドバイスを受ける立岡の姿があった。 「投手の軌道とか、曲がり幅とか、参考にさせていただきました」 阿部ヘッド代行は身振り手振りで、阪神の2番手、桑原の左打者のインサイドに独特の軌道で食い込んでくる“カッター“の説明をしていた。 打ったのは初球のインサイドの144キロのストレートだったが、阿部ヘッド代行がインサイドへの意識付けをしていたから素直にバットが出たのだろう。 阿部ヘッド代行効果である。 三塁打が出ればサイクル安打達成の大記録を残り2打席2三振で逃した田中も、「ずっとファームでも一緒にやっていたので違和感もありましたけど、いつも通りやることができました」と、ベンチでの阿部ヘッド代行の存在が支えになったことを明らかにしていた。 元木ヘッドの虫垂炎による緊急離脱が明らかになったのが、この日の13時30分頃。東京ドームで報告を聞いた原監督は、阿部2軍監督をヘッド代行でベンチに入れ、ファームの指揮は村田修一2軍野手総合コーチに任せることを即断。直接、阿部2軍監督に連絡を入れ、イースタンの横浜DeNAとのナイトゲームに備えて平塚へ移動しかけていた阿部2軍監督を呼び戻した。 「ワンチームですから。いかなる場合でもですね。みんなで助け合いながら”やる”という中で…最善の策として慎之助には来ていただいたというところですね」 試合後、原監督が阿部ヘッド代行の起用経緯を「ワンチーム」という言葉で明かした。 「ワンチーム」ーー。 これこそが巨人独走の理由のひとつである。
かつて“原2次政権“でコーチを務めた経験のある評論家の橋上秀樹氏も、「今年の巨人の強さは、チームにうかうかしていればチャンスを失うという、競争意識と、危機感を受け付けたことにあると思う。トレードで1軍のレギュラーメンバーに刺激を与えるだけでなく、原監督と阿部2軍監督のコミュニケーションがうまくいっているから、下から上がってきた選手にも積極的にチャンスが与えられる。巨人という組織全体に、競争意識が浸透し、それが、緊張感、集中力、執着心につながっている」と指摘していた。 また原監督が阿部2軍監督を1軍ベンチに入れた理由には、次期監督としての帝王学を継承させようという意図も見える。これも球界では異例だ。 実は、野球界は“嫉妬の世界“。次期監督と呼ばれる人間の存在を疎ましく思う監督も少なくない。 故・星野仙一氏は、中日監督時代に山田久志投手コーチに、次期監督の道を作り、阪神監督時代には、故・久万俊二郎オーナーの命もあり、岡田彰布氏を次期監督候補として2軍監督から1軍コーチに引き上げたことがあるが、1軍の将にそれだけの人間的な器とフロントに確固たる方針がなければ、そこまではできないもの。だが、その方針が明確であればチームが組織としてバラバラになることはない。 それこそが「ワンチーム」である。 巨人の大物OBである広岡達朗氏は、「原は阿部を次期監督としてしっかりと育てたときにこそ名将となるだろう」と語っていたが、原監督は、まさに名将の道を突き進もうとしている。 試合後の場内インタビューで、原監督は、「もう素晴らしい。なんていうか、阿部チルドレンとでもいうんでしょうかね。よみうりランドで一生懸命、真っ黒になってきてる2人が7番、8番という打順で非常に大きな役割を果たしてくれました」と、自ら”阿部チルドレン”という言葉を使って、マジックを3つ減らしたヒーローの田中、立岡を絶賛した。 チーム内には、常に「1軍でやりたい」(立岡)という競争意識が渦巻いていて、それを原監督がコントロールしていく。「ワンチーム」と呼ぶ強さを束ねているのは、原監督の統率力に他ならない。 阿部ヘッド代行は、虫垂炎の手術をした元木ヘッドが復帰してくるまでの1週間ほどの“時限措置“だが、マジックを減らすための推進剤になるだろう。