「子あり」と「子なし」どちらが幸せなのか…30代の私が「夫婦2人暮らしでよかった」と思う瞬間
■「子なしはフリーライダー」への反論 「子供を産まずに好きなことばかりして暮らして、子なしは社会にフリーライドしている」という言葉をSNSでしばしば見かける。 これに対して「私は寄付をしたりボランティアをしたり、子供たちのために役に立つことをしているので、フリーライドはしていません」という切り返しができればそれでよいのかといえば、それもまた違うような気もする。 社会の中で何かの役に立たなければ生きていてはいけないかというと、そうではない。 誰だって、なんの役にも立てなくたって、いていいのだ。 そもそも誰かの役に立つということは、社会のためにやるというよりも、究極的には自分の喜びのためにやるものなのだと思う。 子供を産み育てている人だって、結果的に社会の維持に役立っているかもしれないが、「世のため人のため」に子供を産んでいる人はいないはずだ。 他者を育てることや、他者を助けることを、「それをした人には相応のリターンがあり、それをしていない人は義務を果たしていないので、権利が与えられない」と考えることがそもそもおかしい。 ■「自分で選んだ幸せ」なら後悔しないはず 子供を持たない選択をした夫婦に対して、「今は自由で楽しいかもしれないけど、老後に後悔するに決まってる」と言う人がいるのは、義務を果たさない者にはそれ相応の報いがないと帳尻が合わない、という考えの表れではないか。 子供を持つ幸せ、子供を持たない幸せ、自分のために生きる幸せ、誰かのために生きる幸せ。 どれを選んだとしても「完璧な幸せ」は訪れない。帳尻なんてみんな一生合わないかもしれない。 幸せは真円ではなく、片方が出れば片方が引っ込むような、不安定で歪んだ形をしているのだと思う。誰もが幸せの反対側に凹みを持っている。人生はままならない。 それでも、自分で選んだ幸せなら、私は凹みも愛して生きていきたいと思うのだ。 ---------- 月岡 ツキ(つきおか・つき) ライター・コラムニスト 1993年生まれ。大学卒業後、webメディア編集やネット番組企画制作に従事。現在はライター・コラムニストとしてエッセイやインタビュー執筆などを行う。働き方、地方移住などのテーマのほか、既婚・DINKs(仮)として子供を持たない選択について発信している。既婚子育て中の同僚と、Podcast番組『となりの芝生はソーブルー』を配信中。マイナビウーマンにて「母にならない私たち」を連載。創作大賞2024にてエッセイ入選。 ----------
ライター・コラムニスト 月岡 ツキ