能登半島地震で“富山の段ボール会社”が2000万円を寄付...義援金ムーブメントの舞台裏
「売名行為と言われても結構! このアクションをきっかけに義援金のムーブメントを起こしたい」そう自身のSNSで発信し、様々な支援活動の起爆剤となる支援運動を繰り広げるサクラパックス株式会社。なぜそこまでやるのか、代表の橋本氏に今後の支援について聞いた。
義援金のムーブメントを起こしたかった
――能登半島地震災後、早々にSNSで発信されたメッセージへの橋本社長の想いについてお聞かせください。 「義援金のムーブメントを起こしたかったんです」、発災後、企業の経営者は支援活動や義援金の寄付をどうするべきか考えるものです。多くの方は、行動の起こし方がわからない。または、行動を起こすこと自体に迷いが生じ周囲の動きを窺っています。だから、「ここは真っ先に私が動かなければ!」と、思いました。 そこで、富山県知事へ義援金の寄付を申し出ました。ただ寄付をするのではなく、地元メディアに声をかけ義援金の寄付の様子を報道として扱ってもらえるような場をセッテイングした上で義援金の寄付を行わせて欲しいと相談、実現したわけです。 ニュースを見た経営者は、サクラパックスが寄付をしたのなら自社も寄付をしようと思うかもしれません。さらに、サクラパックスの企業規模で2,000万円なら、売上が倍である自社ならば、それ以上の金額を寄付しなくては、と思ってくれるかもしれません。つまり、私の行動が起爆剤となり義援金寄付の連鎖が起こればいいと考えました。 ニュースを見たことで活動を起こしやすくなり、寄付へ訪れる企業が次々と現れて行列を成し、多くの義援金を集めることができたと知事より聞いています。 ――「ここは真っ先に動かなければ...」なぜ、そう思われたのでしょうか? 実は、社長に就任して3年目だったでしょうか、東日本大地震の支援活動を1年間やり続けた経験があります。当時、日本青年会議所の副会頭に就任しており、発災後は物資や人的支援活動を行いました。あの時は原発の問題により、関東から東北へ物資を上げるルートは危険と判断。新潟を拠点に支援物資を運び入れることになりました。 直ちに私も新潟へ入り、一夜にして倉庫や運搬用のトラック数十台を動かせるように手配。全国からの物資300t~400t、瓦礫の処理などに3万人のボランティアを被災地へ送り込みました。 その経験もあり今回の震災では迅速に動くことができたと思っています。富山県は地震が少ない地域です。震度5強の揺れは私も初めての体験でした。そのため、防災に対する意識が弱く、支援活動も未経験という方が多い状況。 ならば、支援活動で蓄積したノウハウを持つ自分こそが先頭に立ち、その経験値をもとに皆さんを引っ張って行く役割を担うべきだと、自らに課し「まずはやろう!」と、行動を起こしました。