【独占情報コラム】ローマ、デ・ロッシ電撃解任はなぜ起きた。「これは確実なことだが…」繰り返されたカオスの原因
イタリアの首都クラブが崩壊の危機に直面している。昨季途中から指揮を執るデ・ロッシ監督が解任されたのだ。この突然の解任劇について、イタリア日刊紙『イル・ロマニスタ』のダニエレ・ロ・モナコ・ディレクターに直接話を聞くことができた。ファンの怒りのボルテージが急上昇しカオスな状況となっているローマの今に迫る。(文:佐藤徳和)
⚫️彼らが大切にするもの。それは…
“Morto un papa se ne fa n’altro.(教皇が死んでも、別の人間が教皇になる)”。 「人の代わりはいくらでもいる」という意味のローマの諺だ。しかし、ASローマの監督は、いくらでも代えがいるわけではない。その監督が、“Figli di Roma(ローマの子たち)”であれば、なおさらのことだ。 例え成績が悪くても、容易に後継者を選ぶわけにはいかない。ローマのオーナーを務めるダンとライアンのフリードキン親子は、ロマニスタたちが希求するものを、感じ取ることはできなかったようだ。 彼らが大切にするもの。それは、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)出場権獲得ではなく、ローマの子らと勝利の美酒と敗北の落胆を共有することなのだ。アメリカにおけるトヨタのディーラー会社を運営するフリードキン・ファミリーは、世界に数台しかない年代ものの車を乗り捨て、どこにでもあるような車に乗り換えていった。 それは青天の霹靂だった。誰もが全く予想していなかったアナウンスだった。デ・ロッシはその日の朝もいつものように過ごしていた。
⚫️無惨にも散ったロマニスタたちの希望
現地時間9月18日8時55分、ローマは、ダニエレ・デ・ロッシ監督の解任を正式発表する。7時30分、ローマのトレーニングセンター、トリゴーリアに到着し、スタッフと共にその日のトレーニングについてミーティングを行っていた。そして、すぐにフリードキン親子から呼び出され、指揮官解任を伝えられたという。その後、デ・ロッシは愛車のランボルギーニ・ウルスで、トリゴーリアを去っていくが、笑顔でサポーターのサインにも応じた。 すぐに、メディアからは後任候補が報じられ、ステファノ・ピオリ、マウリツィオ・サッリ、マッシミリアーノ・アッレグリらの名が挙がった。しかし、イバン・ユリッチの代理人がトリゴーリアを訪れることが明るみに出ると、ユリッチも到着。このクロアチア人監督がローマの新監督となり、その日の午後から、トレーニングの指揮を執った。 この10年で8人目のローマ指揮官となったユリッチは、トリノでの手腕が高く評価されるが、最高位はベローナ時代とそのトリノ時代にマークした9位。ビッグクラブでの経験もない。熱血漢ではあるが、トリノ時代にはダビデ・バンニャーティ・スポーツディレクターとのつかみ合いに発展するほどの言い争いも大きな話題となった気性の激しい監督である。 デ・ロッシ解任劇は、ジョゼ・モウリーニョ前監督の首を切ったときと全く同じやり方だった。1月16日にモウリーニョもトレーニングのために朝、トリゴーリアに到着し、間もなく解任を告げられている。そして、後任に指名されたのが、デ・ロッシだった。