巨人・落合博満41歳が猛批判「はっきり言って、原辰徳」“落合vs原”…30年前オフにバチバチの論争「原がしっかりしてたら巨人移籍なかった」
「オレは15~20歳まで野球をやってなかった」
自主トレ期間中は、神谷理学療法士の作ったリハビリメニューを淡々とこなし、これまでほとんど興味を示さなかったウエート器具で下半身の強化に励んだ。結果的に、この例年より早い始動と徹底的なトレーニングが、41歳落合の近年失われつつあった打席での粘り腰を取り戻すきっかけになっていくわけだが、それが証明されるのはもう少しあとのことである。 「年? 関係ないね。オレは15歳から20歳まで、野球を(満足に)やってなかったからね。だから、5歳は若いと思ってるんだ」(週刊読売1995年1月1日号)なんてうそぶく一方で、文化放送で徳光和夫アナウンサー相手に「自分は必ずしも四番にはこだわっていないけれど、ただ、広沢や新外国人にはそう簡単には渡しませんよ。広沢は確かにヤクルトの四番には座っていたけれど、威圧感という面ではまだ全日本の四番にはなっていない」とライバルたちを牽制する。
異例の“ひとり50日間キャンプ”
2月1日の宮崎キャンプインを無事迎えると、ランニングやフリーバッティングの投手役を務めるなど独自のメニューでマイペース調整を続け、2月20日の長嶋監督の59歳の誕生日にエア・テント内でバッティングを開始した。3月2日に一軍本隊がキャンプを打ち上げ本格的にオープン戦が始まっても、落合は二軍とともに宮崎残留。3月21日の東京ドームで行われるダイエー戦のチーム合流を条件に、異例の“ひとり50日間キャンプ”を敢行した。 樋沢良信二軍内野守備コーチ、斎藤トレーナーらとともに落合が信頼する打撃投手の岡部憲章も付き合い、宮崎で背番号6相手にひたすら投げ続けた。実は岡部は阪神を自由契約となった1989年オフ、「ウチへ来ないか? ただし選手としてじゃないんだけれど」と巨人の現役選手から声をかけられ、打撃投手に転身していた。その選手とは、東海大相模高の同級生・原辰徳である。 複雑に絡み合う男たちの野球人生――。前年に日本一という結果を出した移籍2シーズン目、遠慮なく我が道を行くオレ流落合。プロ3年目を迎えるゴジラ松井、そしてマック、広沢、ハウエルら補強組の四番争いでマスコミは盛り上がったが、ファンの反応は意外なものだった。
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