なぜ22歳の一山麻緒は国内最高記録を更新して最後の東京五輪切符を手にできたのか…背景に福士加代子の”財産”
レース後のインタビューでは、「こういう日だからこそ、オリンピックを決められたらすごくカッコいいなと思って走りました。今日みたいな日が来るのが夢だったので、夢みたいです」と一山は声を弾ませた。 名古屋でヒロインとなった一山は、この1年間で大きな進化を遂げている。昨年3月からの1年間で4本のマラソンに出場。初マラソンの東京は冷雨のなかで2時間24分33秒をマークした。4月のロンドンは2時間27分台で走り、MGCの出場権を獲得。9月のMGCは自ら高速レースに持ち込むも、6位に終わった。 その後、昨年12月に1万mで31分34秒56の自己ベストをマークして、2月2日の丸亀国際ハーフマラソンで日本人トップの5位(1時間8分56秒)。4回目のマラソンに向けては、米国・アルバカーキで約4週間(2月4~29日)の高地トレーニングを積んできた。 永山監督は松田のタイム(2時間21分24秒)には届くと感じていたという。それどころか「21分を切って、野口さんの日本人国内最高記録を動かしたい」と考えていた。そのために”鬼メニュー”を作成。一山も「可能性はゼロじゃないなと思って、監督の鬼メニューを信じてやってきました」と夢の舞台に向かう覚悟を決めた。 中学時代から「東京五輪に出たいなあ」とぼんやり考えていたという一山。鹿児島・出水中央高校時代は3000mの自己ベストが9分26秒13。全国大会で目覚ましい活躍はなかったが、ワコール入社時に「東京五輪に出たいです」と宣言する。 5月には5000mで15分44秒33をマークして、「福士加代子と比べても近いところに来ている。福士の路線で行けるのかな」と永山監督を唸らせた。 偉大な先輩と同じ路線で世界を目指したが、トラックでは福士ほどのポテンシャルを発揮することができなかった。しかし、今回のマラソン練習では、これまでの福士以上のトレーニングを積んできたという。 「福士君の練習よりも質・量ともに1.2倍くらいアップさせました。福士君の日本記録(3000m、5000m)もそうでしたけど(結果を残すには)練習しかないと思っています。苦しいことから逃げてしまうと勝てない。身体と脳にとにかく走るペースを叩き込んできました。今回はキロ3分20秒というペースですね。彼女が鬼メニューという練習も外さないでやってくれた。それが今回の結果につながったと思っています」(永山監督)