どんな人? 新紙幣の3人から見える歴史
日本政府が、20年ぶりに新しい紙幣を発行しました。新一万円札は渋沢栄一、新五千円札は津田梅子、新千円札は北里柴三郎の肖像が描かれています。 この新しいお札の顔となる3人は、どんな人物だったのでしょうか。
明治時代に活躍した人物
3人は近代の日本の発展に貢献しただけでなく、教育にも縁の深い人物といえます。まず、その名前が大学になっているのが津田梅子と北里柴三郎です。 新五千円札の津田梅子は、東京都の小平と千駄ヶ谷にキャンパスを構える津田塾大学の創立者です。1871(明治4)年に日本最初の女子留学生として、わずか6歳でアメリカに渡り、現地の初等・中等教育を受けて11年後に帰国しました。 当時の日本女性の地位の低さを嘆き、米国に再度留学して生物学を専攻します。帰国後に開設した私立の女子校「女子英学塾」が発展し、津田塾大学となりました。 新千円札の北里柴三郎は、「近代日本医学の父」と呼ばれます。細菌学の分野で多大な功績をあげ、伝染病予防と治療に貢献した人物です。 1853年(旧暦嘉永5年)に現在の熊本県阿蘇郡に生まれ、東京医学校(現・東京大学医学部)を卒業して内務省衛生局に入ります。 6年間のドイツ留学中に、破傷風の治療法となる「血清療法」を確立し、国際的に知られるようになりました。帰国後は日本で最初の結核治療の専門病院を設立し、結核の予防と治療に注力。1914(大正3)年には私立の「北里研究所」を創設し、それが現在の北里大学につながります。 前の千円札で採用されていた細菌学者の野口英世は、北里が数多く育てた弟子の一人で、今回は恩師にバトンタッチとなったわけです。
実業家も教育に関わった時代
新一万円札には、近代日本の経済界をリードした渋沢栄一が採用されました。 1840(天保11)年に現在の埼玉県深谷市の豪農の家に生まれ、幕末に一橋家の財政担当者となり頭角を現します。後に幕臣としてパリの国際博覧会(パリ万博)を見学し見聞を広め、明治維新後は大蔵省(現・財務省)で手腕を発揮します。「第一国立銀行」の頭取として株式会社の創設や育成に力を尽くしたことから、「日本資本主義の父」と呼ばれているのです。 経済人として語られることが多い渋沢ですが、教育や医療、社会福祉の分野でも多数の事業の支援を行いました。 一橋大学の前身である「商法講習所」の開校に協力し、現在の東京経済大学や東京女学館、日本女子大学などの設立にも関わります。 渋沢の功績は東京都北区の渋沢史料館と、深谷市にある渋沢栄一記念館で学べます。深谷市には渋沢家の旧住宅も現存しているので、実際に訪ねてみるのもおすすめです。