【光る君へ】輝いていた場面「ベスト5」 秋山竜次は迫真演技…平安朝を描いた異色作
配信が多くまずまずの成功
『源氏物語』の作者とされる紫式部(吉高由里子、ドラマではまひろ)をヒロインに、時の最高権力者、藤原道長(柄本佑)の人生をからめた2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』。全48回の期間平均視聴率は10.7%(関東地区)で、2019年の『いだてん』の8.2%に次ぐ大河ドラマ史上ワースト2だそうだが、配信は記録的に多かったという。 【写真】彰子役で話題になった「見上愛」の意外な素顔 “よく間違えられる”そっくり女優と2ショット ほか
大河ドラマの代名詞たる戦闘シーンがわずかしかなく、代わりに文学や恋愛の比重が高いという展開が視聴者に受け入れられるかどうか、懐疑的な見方もあった。実際、恋愛を交錯させすぎた結果、時代の様相や大事な史実が誤って受容された面もあると思われ、その点は、私には残念に思われるのだが、トータルの視聴数でいえば、まずまずの成功だったのではないだろうか。 実際、評価すべき点は少なからずあった。そこで、『光る君へ』を「歴史ドラマ」として評価した場合におけるよかった点を、順位をつけて5つばかり、多少の愚痴を交えながらではあるが、記してみたいと思う。
史料に忠実な細部の描写
第5位には、史実が一定程度、大事にされていたことを挙げたい。この時代を知る史料としては、『栄花物語』や『大鏡』などもあるが、これら歴史物語には脚色も多い。一方、貴族たちが体験したこと、見聞したことを、すぐに書き記した日記には、脚色や創作がほとんどない。そんな史料が豊富に残っているのである。 藤原道長の『御堂関白記』、藤原行成(渡辺大知)の『権記』、藤原実資(秋山竜次)の『小右記』がそれで、1000年前の出来事が三者三様に描かれることで、人々の様子やセリフまでが立体的に再現できる。『光る君へ』の脚本も、これらの日記に記述がある事柄は、原則としてそれに沿って描かれ、セリフなども採用されていた。 その一例が、寛仁2年(1018)10月16日夜、道長の四女である威子(佐月絵美)が立后した晩に、道長の私邸である土御門殿で行われた宴の場面、すなわち、あの有名な歌が詠まれた場面である。道長の『御堂関白記』には「余読和歌、人々之詠(私は和歌を詠み、人々はそれを詠唱した)」と書かれているだけだが、実資の小右記には細かく記されている。 道長が実資に、息子の頼通(渡邊圭祐)に盃を勧めてほしいと頼むと、実資から頼通へ、頼通から左大臣の顕光(宮川一朗太)へ、顕光から道長へ、道長から右大臣の公季(米村拓彰)へと盃がめぐる。そして道長はふたたび実資を呼ぶと、こういった。 「『和歌を詠まんと欲す。必ず和すべし』てへり。答へて云はく、『何ぞ和し奉らざるや』。又云はく、『誇りたる歌になむ有る。但し宿講に非ず』てへり(『和歌を詠もうと思う。必ず返歌するように』と(道長が)言うので、私は答えて言った。『どうして返歌しないことがございましょうか』。すると(道長が)また言ったのは『浮かれた気分の歌なのだ。でも事前に準備したものではない』)」 そして詠まれたのが、かの有名な「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」で、その後、人々は詠唱したという。『光る君へ』では、『御堂関白記』の記述が『小右記』に記されたディテールをともなって、ていねいに描写されていた。