【光る君へ】輝いていた場面「ベスト5」 秋山竜次は迫真演技…平安朝を描いた異色作
出産シーンを通じて平安時代が見える
医学も薬剤も発達していなかった平安中期、病気とは生霊や死霊が取り憑いて祟りをなすものだと考えられた。だから最大の治療は、取り憑いた物の怪を除去するためのお払いの儀式、つまり加持祈祷だった。同様に、母体の生命が失われることが多かった出産時も、物の怪が邪魔をしないように加持祈祷が行われた。現代と異なる時代の様相は、こういうところに如実に表れる。 そこで第2位には、彰子が敦成親王を出産する場面を挙げる。それは寛弘5年(1008)9月11日のことで、一部始終は『紫式部日記』に記されている。清浄をたもつべく寝殿は白で覆われたうえで、物の怪の調伏がはじまった。僧のほか修験者、陰陽師までがかき集められ、読経や呪文の声は寝殿を揺るがすほどだったという。 圧巻だったのは「憑子」と呼ばれる霊媒である。大半は十代前半くらいの少女だったそうで、彰子に憑いている怨霊や邪霊などを引きはがして自分に憑かせるのだが、物の怪を引き取った彼女たちはトランス状態となって、大声で喚き、泣いたりしながら駆け回る。彰子は難産だったので、こうしたことが通常以上に行われたようだが、現代人から見ると、このようにあまりに異常な出産の場面が、リアルに描かれていて迫力があった。 この時代の重要な一面を映し出す、すぐれた場面だったと思う。
白木を使って得られた現実感
圧倒的にすぐれており、迷わず第1位に挙げるのは、装置、美術、衣装である。内裏の清涼殿にせよ、彰子のサロンである藤壺にせよ、道長の私邸である土御門殿にせよ、ディテールまで徹底的に平安時代らしく作り込まれていた。 特に木部。大河ドラマはもとより、これまで歴史ドラマや時代劇のセットは、木部がこげ茶色をしていることが多かった。たしかに、現代において私たちが訪れる歴史的な木造建築は、木部がこげ茶色だが、それは基本的に経年変化によるもの。この時代、内裏はたびたび火災に遭っており、新築である以上、白木に囲まれていたはずである。じつにリアリティがある装置だった。 加えて色鮮やかでこのうえなく優美な衣裳や調度類。衣裳でいえば、先に述べた出産時の白やグレーの喪服などにも美しさは徹底していた。こうした視覚的な追求の結果、視聴者が平安時代について上質なビジュアルイメージをいだけたのは、『光る君へ』があたえてくれた財産だと思う。 『光る君へ』は、紫式部と道長の恋愛を中心に、やりすぎだと感じる点もあった。紫式部の一人娘の賢子(南沙良)が道長の子だとか、道長が出家したのは紫式部が宮廷から去ったからだとか、歴史の流れについての誤解につながりかねない創作には、首をかしげることもあった。せっかくここまで「歴史」が描かれたのだから、「やりすぎ」をわずかに抑えるだけでも、さらに完成度が高まったと思うと、少し残念な気もするが。 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。 デイリー新潮編集部
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