「行雲流水」の読み方、意味、由来とは?|スピーチで使う時の例文も紹介【座右の銘にしたい言葉】
人の生き方とは様々です。何となく観ていたテレビ番組や新聞の記事などで、とある人物の人生を知り、心打たれることがあります。人様の生き方から学ぶことも多いもの。また、己の生き方と比べ、恥じ入ることもしばしばです。 写真はこちらから→「行雲流水」の読み方、意味、由来とは?|スピーチで使う時の例文も紹介【座右の銘にしたい言葉】 どこで、人生の違いが生じたのか? 運なのか、チャンスだったのか……。おそらくは、志と運を呼び寄せる努力、そしてチャンスを物にする能力の違いではないでしょうか? 先人たちが残した名言や金言の中に、その答えを見つけることができるかも知れません。第10回の座右の銘にしたい言葉は「行雲流水」(こううんりゅうすい) です。
「行雲流水」の意味
「行雲流水」について、『⼩学館デジタル⼤辞泉』では、「空を行く雲と流れる水。物事に執着せず、淡々として自然の成り行きに任せて行動することのたとえ」と説明されています。自然の流れに身を任せ、無駄な抗いをしない生き方を象徴しています。これは、現代社会の忙しさやストレスから一歩引いて、自身の内なる平和を見つけるための哲学として非常に価値があります。
「行雲流水」の由来
この言葉の由来には諸説ありますが、11世紀の中国、宋代の蘇軾(そしょく)という文章家が記した「謝民師推官与書(しゃみんしすいかんにあたうるのしょ)」を出典とするとされています。そこには次のような記述があります。 大略如行雲流水(大略は行雲流水の如く) 初無定質(初めより定質無く) 但常行於所當行(但だ常に當(まさ)に行くべき所に行き) 文理自然 姿態横生(文理自然にして、姿態横生す) 【現代語訳】 大まかに言うと(文章というものは)流れ行く雲、流れる川の流れに似て、初めから決まった形というものはなく、ただ必ず行くべき所へ向かって行き、おさまるべき所におさまって、文章は自然で、記述が明確になっていくのだ。 「謝民師推官与書」では文章を書く時の心得として使われていますが、今日では人生における生き様や態度、心境を表す言葉として使われています。