公園を人の集まる人気スポットに!飲食業界の異端児の挑戦
また横浜は、1869年に日本で初めてビールの醸造所ができたビール産業発祥の地でもある。 これを宝に見立て、地元製造のクラフトビール「横浜ビール」(Mサイズ1000円。Lサイズ1300円)を提供している。オープンから1年で2万杯以上が売れ、これを目当てにくる客も多いと言う。 〇公園を変える秘策3~地元企業を巻き込む 「横浜ビール醸造所」が作っている「横浜ビール」。製造開始から25年が経つが、なかなか認知度が上がらず悩んでいた。しかし、ゼットンのカフェに卸し出すと「飲食店さんの中では一番売っていただいている。間口が広がり大変ありがたいです」(「横浜ビール醸造所」田尻和彦さん)。 その「横浜ビール醸造所」を訪ねたのはゼットン公園再生事業室の責任者、野尻徳也だ。山下公園のカフェ限定でオリジナルビールを出せないかと言う。生ビールに加えて、横浜市の市花・バラの香りのビールも提案した。 こうして地元の魅力的な企業を巻き込み、共に戦っていくのだ。 山下公園の店舗運営には多くの数の企業が入り、ゼットンが代表を務めている。協力するのはビジネスだけではない。この日、ゼットンの社員が足を運んだのは山下公園の近くにある洋菓子店だ。公園の清掃といった社会活動も店舗に呼びかけ、巻き込んでいくのだ。 「山下公園の活性化につながると思い、声をかけさせて頂きました」(企画広報担当・白川真弓) こんな取り組みを続けるゼットンの元には、全国の自治体や企業から問い合わせが殺到している。 「素敵な公園があるからここに住みたいという、最終的にはその街に住みたい人を増やしたいと思っています」(鈴木)
毎日10キロ走る飲食の異端児~大病を機に公園再生に挑む
趣味がトライアスロンの鈴木にとってランニングは日課だ。仕事を終えた後、毎日10キロも走っていると言う。 「走っている時は、通常の生活をしている時よりも自分の感覚が少し上がる。いつも気がつかないところに気をつけるということはあります」(鈴木) 鈴木は1971年、岐阜・山県市の生まれ。実家は家族で縫製工場を営んでいた。 「夕食が常に工場の会議の場でした。今月はこれぐらい売り上げが行きそう、とか」(鈴木) そんな環境から、自分も将来、事業をやってみたいと思うようになる。しかし、大学時代は夜な夜な繁華街へと繰り出す生活を送る。バーテンダーのアルバイトを始め、ついには就職浪人してしまう。その頃、バーテンダーの先輩が独立し、「うちで働かないか」と誘われた。それがゼットンの1号店だった。 入社した鈴木は店長を任され、業績の悪かった店を立て直すと、この仕事に夢中になる。 「自分で事業をやろうと思えば独立しないといけない。でも、たくさんいる部下と離れることも悩ましい。どうしたらいいかと考えたら、ゼットンの社長になればいいと思ったんです」(鈴木) 2001年、ゼットンは東京に進出。鈴木が責任者を任され、3年後には売り上げを10億円まで伸ばした。この実績から33歳で副社長に就任した。 だが突然、体調に異変を感じた。下腹部に違和感を覚え、調べてもらうと軟骨の良性腫瘍と判明した。ただし愛知県がんセンターの医師からはこう告げられたと言う。 「『このまま放っておくと歩けなくなる。手術が成功する保証もない。それで歩行困難になるかもしれない。どっちがいいですか』と言われた。歩けない自分を想像できなくて……」(鈴木) 幸い手術は成功し、そのリハビリでランニングを始めた。街を走り出すと、これまで見ていなかった景色に目がいくようになったと言う。 「日々、駒沢公園を走るという日常を送るようになり、公園も飲食店を作ってきたノウハウで作れるのではないかと思ったんです」(鈴木) 2016年には事業継承し、鈴木が社長に就任した。その後、葛西臨海公園での飲食事業が公募され、鈴木自ら現地を訪ねてみると、驚いた。 「自然環境がもう宝。新たなビジネスチャンスがそこに広がっていると思いました」(鈴木) ところが、社内会議では反対に遭う。当時、公園はやんちゃな若者たちの溜まり場になっていて、住民の憩いの場とは言い難い状態だったのだ。 それでも鈴木は反対を押し切り、公園事業に乗り出す。以前、ハワイで成功したウエディングのプロデュースのノウハウを葛西臨海公園でも活かせるのではと思ったのだ。しかし、自治体に提案してみるとそこでも「希望者はいるのか」と、つれない反応だった。 「こんなにみんな、葛西臨海公園のことをネガティブに捉えているのだと、初めて感じました」(鈴木) それならば、ファミリー層に使い勝手のいい公園に変えていこうと思い立つ。 まず、子どもたちが楽しく遊べる「キッズスペース」を設置した。親はその様子を見守りながら食事などを取れるようにした。 さらに、ファミリー層に施設を知ってもらうためのさまざまなイベントを打っていく。バーベキューとセットの体操教室、子どもが生の魚をさばく体験イベント……。すると、公園の客層も少しずつ変わっていった。 今では「怖い公園だったのが、子どもたちが集まれる公園になった」(住人)と言う。