「おれについてこい!」…日本女子バレー「東洋の魔女」をしごき上げた「鬼の大松」超スパルタ伝説の「意外な真実」
”鬼の大松”は、選手に決して手をあげなかった
「鬼の大松」と言われた大松監督にはスパルタ訓練のイメージがありますが、じつは彼は決して選手たちに手をあげなかったといいます。 大松監督は、太平洋戦争で最も愚策であったと言われる地獄のインパール作戦に従軍して生き延びた一人でした。厳しくするのは、競技のトレーニングだけであり、選手に対して体罰などを加えたりはしませんでした。 選手たちも、どんな厳しいトレーニングを課されても、誰よりも汗をかき、スパイクを打ち続けているのは当の大松監督であることをよく知っていたのです。選手が発熱しても怪我をしていてもトレーニングを続けさせ、周囲は「よくあれで選手たちがついていくな」と呆れましたが、大松監督は内緒でチームの担当医師と相談して、体調不良の選手がどれぐらいまでなら乗り越えられるか見定めて相対していた、と後年明かしています。 東京オリンピックから4年後、講談社の別部門から新たなバレーボール本が生まれます。それが、いまも「スポ根」少女マンガの傑作といわれる『サインはV! 』でした。 つづく後編記事『高度経済成長期の少女たちが『サインはV! 』に大熱狂…! 登場人物が骨肉腫で亡くなる「スポ根マンガの金字塔」は漫画家も「命がけ」だった! 』では、汗と涙と魔球の物語の舞台裏を明かします。
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