69歳八ヶ岳でひとり暮らし、人間関係が苦手でADHDの診断も。少ない年金でも幸せに暮らすコツとは?
八ヶ岳の一軒家に住み、家も食べ物も洋服も手作りで楽しく日々を過ごすウリウリばあちゃんはただいま69歳。ユーチューバーとしても活躍中です。離れて暮らす夫と息子との関係や、豊かに暮らすコツを語ります(構成=篠藤ゆり 撮影=藤澤靖子) 【写真】外で薪を割るウリウリばあちゃん * * * * * * * ◆故郷を思い機織りを始める 私はもともと、山口県の都市部で育った「街っ子」。19歳の時、「私は一人で生きていくんだ!」と一念発起して、上京しました。でも知り合いもいないし、寂しくてねぇ。食べるためにいろいろなバイトをしたけれど、事務仕事はまったくできないし、人間関係も苦手。 当時はADHDという概念がなかったから、「え~っ、私ってこんなにできないんだ」とショックを受けました。でも、そこでめげない。すぐに、私は《一般的》な生き方を目指せなくても、できることはあると思ったの。 器用ではないけれど、クリエイティブなことは好きだったので、縁あって映画会社の衣装部で働くことになりました。その頃、日活ロマンポルノの助監督をやっていた人と知り合って、おつきあいするようになって。ハイ、息子の父親です! 衣装の仕事は楽しかったけれど、映画は大勢の人間がかかわる仕事だから、やっぱり私には向いていなかった。そんな時ふっと頭に浮かんだのが、母の故郷の風景だったんです。 母の実家は中国山地の山奥にある茅葺きの家で、目の前を小川が流れていて、冬は雪で閉ざされる。囲炉裏や五右衛門風呂のある家で機織りをしながら暮らしている自分の姿を想像して、わぁ、かっこいいなと思って。
彼に「田舎で機織りしたい」と言ったら、「富士急沿線のあたりに行けばそういう家が見つかるんじゃない?」とアドバイスをくれました。 それですぐに電車で大月まで行き、たまたま見つけた不動産屋さんで、「囲炉裏と五右衛門風呂がある茅葺きの家、ありませんか?」と聞いたら、あったのよ! それで、すぐに引っ越しました。すごいボロ家だったので、20代の女の子がよく一人で住めるね、と言われたけど。 そのうち子どもができたから、東京の助産院で産むことにしたの。だからその時の2ヵ月くらいが、夫と暮らした最初で最後の時期。すぐに大月に戻って、一人で子育てを始めました。 夫とは正式に結婚はしたけど、一緒に暮らそうとか、別々に暮らそうとか話し合ったわけでもなく、なりゆきで別々に生活するようになったというか。きっと、一緒に暮らしていたら別れていたと思う。 でもね、仲はいいのよ。今住んでいる家も、彼と一緒に考えて建てたものです。節約のため枠組みだけ大工さんに建ててもらって、二人で壁を塗ったりして。彼のほうが多くお金を出してくれました。その後夫は映画会社を辞めてフリーの監督になったんですが、あまり売れなくて。(笑) そんな両親を見て育ったからか、息子は堅実で、石橋を叩いて渡るタイプ。大学卒業後は大学院に進んで研究者になるのかなぁと思っていたら、さっさと企業に就職しました。家族のなかで、一人だけ異色よね。両親を反面教師にしたのかな。 夫と会うのは年に数回。私が東京で用がある時には彼の家に泊まるし、コロナ前は年に1回、一緒に東南アジアなどに旅行にも行っていました。お正月は家族揃ってこの山の家で過ごすのが恒例。そのくらいの距離が、ちょうどいいみたいです。ちなみに夫も息子も料理が上手だから、三人一緒の時はわが家の男たちが料理をしてくれます。
【関連記事】
- 【前編】69歳ひとり暮らし、八ヶ岳の一軒家で年金月3万円の生活とは?「森に暮らして30年。手作りと物々交換が基本」
- 年金3万円68歳、八ヶ岳の一人暮らし「麹や手づくり味噌でお金をかけず豊かな食卓に。オススメは簡単に作れて美味しい小豆味噌」
- 年金3万円68歳・八ヶ岳一人暮らし「かつて東京で寂しくて泣いた私も今はすごくラク。人と会わなくて構わないし、なるべく外出せずやりたいことだけしたい」
- 年金3万円68歳・八ヶ岳の一人暮らし「離れて暮らす夫とは独立採算制。薪や段ボールで調理も暖もとる、ひたすら倹約の日々」
- 年金3万円68歳・八ヶ岳の一人暮らし。基本「ケチ」で友達とのバラ園も「外で待ってる」。髪は自分で切り、買い物も行かず