ブラジル男子柔道の五輪銅メダル 監督務めた日本人女性の「常識を壊した歩み」
2020東京五輪の開幕は7月23日。日本に入国した後で選手が陽性となったら、試合には出られなくなる。最悪の事態を防ぐために神経をとがらせた。 「ブラジルを出国する7日前から出発直前までに5回もPCR検査をしました。幸いなことに入国後も全員陰性で無事に試合を戦うことができました。困難を乗り越えての出場だったので、選手には『夢の舞台なんだから、今日だけは自分のためだけに試合をしてほしい』と話しました」 カルグニン選手の3位決定戦で、藤井さんは畳の横の監督席から大声で檄を飛ばした。イスラエルの選手との接戦を制したカルグニン選手は藤井さんと涙を流して抱き合い、喜んだ。自国以外の人間がナショナルチームの監督を任されるだけでも特別なことだが、女性が男子チームの監督になるのはさらに珍しいことだ。
大きな転機となったイギリス留学
愛知県大府市出身の藤井さん(当時は中野姓)は5歳から柔道を始め、中学の全国大会で2位(56キロ級)、高校の全国大会で3位という好成績を収めた。広島大学教育学部に進学し、柔道を続けながら保健体育の教員免許を取得したが、教師になる気はなかった。修士課程修了とともに現役を引退し、海外の大学に留学することにした。 「まず自分が人に何かを教える姿がイメージできなかった。人に教えるなんておこがましいとも思っていました。柔道を引退して新たに何をやろうかと考えたとき、小さいころに思い描いていた世界の人たちと交流する姿が浮かびました。それには英語だと思い、留学を決意しました」
大学の恩師から「せっかく柔道をやってきたんだから、柔道を生かせる環境で英語を学びなさい」と助言を受けた。そこで、東海大学柔道部の学生がよく留学していたイギリスのバース大学に行くことにした。 2007年に入学すると、柔道部の指導を手伝うことになった。折よく大学に柔道指導者の養成コースが設置され、2人の指導教官が来た。フランス人男性のパトリック・ルーとイギリス人女性のジェーン・ブリッジ。2人との出会いは、藤井さんに大きな変化をもたらした。 「それまで私は柔道の指導経験がなかったので、バース大では何から指導していいのかもわからず、悩んでいました。例えば『足の運び方』とか、『強い姿勢の作り方』『力をうまく使った動き方』など、そういう柔道特有の基本的な身のこなしは、日本では周りにお手本がたくさんいるので自然と学ぶことができる。そして、多くの練習をこなしていくことで、子どもたちは自然と理にかなった動きを覚える。一方、当時のイギリスはパワー重視で、バース大でも基本の練習を『つまらない』とやめてしまう傾向がありました。ところが、ルーとブリッジは基本を大切にしながらも、退屈な指導法ではなくて、選手が興味をもてる指導をしていた。その姿を見て、『基本をみっちり教えていいんだ』という確信がもてた。そこから指導者としての道にのめり込んでいきました」