新選組のルーツを訪ねる 二番隊組長・永倉新八が余生を送った北海道・小樽
その永倉が最晩年、地元の小樽新聞の取材で新選組の誕生から終焉までを回想、説明している。大正2年(1913)から同新聞に掲載された連載記事「永倉新八」は、のちに「新撰組顛末記」として書籍化された。杉村さんは「自身は、朝敵だとは思っていなかったと思います。ちゃんとした歴史を残したい、自分がまとめないとわからないことがある、という強い思いがあったのでしょう。だから、話したのだと思います」と語る。 大正4年(1915)1月、永倉は永眠する。77歳だった。 子供のころ、「鞍馬天狗」では新選組が敵役で弱かったため、「なぜ新選組の子孫なのか。坂本龍馬の子孫ならよかったのに」と思っていたという杉村さん。今現在、永倉については、「義のある人です。新選組のことを語り残そうと思い続けてきたという生き方がよかったと思います」と語る。永倉が、新八から改名した「義衛」という名前には、「義」を「衛る(まもる)」という意味がある。 (取材・文:具志堅浩二)