“国立決戦”制してパリへの切符獲得! 試練のアウェーから中3日、なでしこジャパンは何を変えたのか?
2月28日に行われたパリ五輪アジア最終予選で、なでしこジャパンが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を2-1で破り、2戦合計2-1でパリへの切符をつかんだ。3日前に会場が決定し、苦しんだサウジアラビア・ジッダでの初戦を乗り越えて、3日間でチームに起きた「変化」とは? (文=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=森田直樹/アフロスポーツ)
苦しんだ初戦を経てつかんだ歓喜の瞬間
天国か、地獄か――。負けたら失うものがあまりに大きい一戦で、90分間の後に待っていたのは大きな歓喜だった。 自力での五輪出場権獲得は12年ぶりとなる。試合終了の笛が鳴った瞬間、2万人の観衆が見守るピッチの中央に、ベンチメンバー、スタッフ全員が飛び出して輪を作った。 「最高の仲間たちと、もっともっと長くやりたいという強い気持ちが自分のモチベーションになっています」 全員の想いを代弁していたキャプテン・熊谷紗希の願いは現実になった。 日本は、2月24日にアウェーで戦った初戦(0-0)とは見違えるように攻撃的なサッカーを見せ、第2戦を2-1で制した。移動も含めて中3日というタイトな準備期間の中で、何を変えたのか? まず、初戦の流れを簡単に振り返りたい。AFC(アジアサッカー連盟)と北朝鮮側の交渉で試合会場の決定が二転三転し、時差や暑熱対策の準備もままならないまま臨んだサウジアラビア・ジッダでの初戦は、北朝鮮の想定外の戦略に苦しめられた。 「オーソドックスな4バックで前から強くプレスをかけてくる」。日本側の分析を、相手はしたたかに裏切ってきた。フタを開けてみれば、5バックで守備を固め、カウンターを仕掛けてきたのだ。また、日本は左サイドのレギュラーだった遠藤純と宮澤ひなたをケガで欠いた穴を埋めることができず、攻撃が機能不全に陥ってしまった。90分間で放ったシュートはわずか3本。逆に決定機を複数作られ、守護神・山下杏也加の好セーブなどで無失点に抑えることができたのは幸いだった。