歴史から消されかけた古代エジプトの女王ハトシェプストの栄光、巨大な葬祭殿から蘇る
21年にわたり統治したファラオ、古代世界を魅了した神殿は今も赤い絶壁の足元に
ハトシェプストは、まず共同統治者として、その後ファラオとして、合計21年にわたってエジプトを支配した。エジプトの歴史の中でも、ここまで長く権力を維持した女性は少なく、その治世は古代エジプトの黄金期のひとつと重なる。さらにハトシェプストは、無数の神殿、カルナックのアメン神殿にある4つの巨大なオベリスク、功績や信仰を伝える多くの品々など、貴重な遺産を国中に残している。 ギャラリー:ハトシェプストの栄光、巨大な葬祭殿ほか写真12点 ただし、こういった多くの品は、紀元前1458年にハトシェプストが亡くなったあと、傷つけられたり破壊されたりした。先頭に立ってハトシェプストの名を歴史から消そうとしたのは、後継者であり、エジプトを代表するファラオのひとりであるトトメス3世だった。ハトシェプストを描いた肖像は削り取られ、彫像は破壊された。 それでも、デル・エル・バハリ(アラビア語で「北の修道院」という意味)にあるハトシェプストの葬祭殿は、20世紀の大がかりな復元作業を経て、今も赤い絶壁の足元にたたずんでいる。この建物の美しさは古代世界を魅了し、ハトシェプストの栄光と神への献身を今に伝えている。
王となった女性
ハトシェプストが生まれたのは、紀元前1507年ごろ。父はトトメス1世、母は偉大なる王の妻、イアフメス王妃だった。ハトシェプストは異母弟で王位継承者であるトトメス2世と結婚し、偉大なる王の妻となった。トトメス2世は、後継者となる2歳の息子(側室との子、トトメス3世)を残し、若くして死んだ。そこで幼い子に代わり、伯母であり継母であったハトシェプストが国を治めることになった。 ハトシェプストの役割は、共同統治者から真のファラオへと、徐々に変わっていった。 トトメス3世は、成長したのちも、紀元前1458年ごろにハトシェプストが亡くなるまで、ファラオとして単独で国を治めることはなかった。トトメス3世の治世は輝かしい時代で、多くの功績を残すことになったが、ハトシェプストの痕跡を抹消しようとする組織的な活動が展開されたのもそのときだ。 それから数千年の時を経て、考古学者たちがその痕跡をつなぎ合わせ、ハトシェプストの歴史的地位をよみがえらせた。