歴史から消されかけた古代エジプトの女王ハトシェプストの栄光、巨大な葬祭殿から蘇る
神聖なる配置
葬祭殿の構造は綿密に設計されていた。特にそれが明らかなのは、ナイル川の対岸にあるカルナックのアメン神殿と一直線上にならぶように配置されていることだ。さらに、ちょうど東西方向に延びる中央の参道は、日々の太陽の軌道を表している。当時の信仰では、これは太陽神ラーの通り道ということになる。 また、葬祭殿は、さらに西にある王家の谷とも並んでいる。この王の墓の建設を始めたのは、ハトシェプストの父親であるトトメス1世だった。実際に、ハトシェプストとトトメス1世が埋葬されていたKV20号墓は、葬祭殿の一番奥にあるアメン神の聖域と一直線上にある。当初は、間にある絶壁の下にトンネルを掘り、KV20号墓とアメン神の聖域をつなぐ計画だったという説もある。いずれにせよ、岩の質が悪く、実現はできなかった。 中央のスロープには石でできた欄干があり、堂々たるライオンの石像が並ぶ。第一中庭と第二中庭は、並んだ柱によって区切られている。ハトシェプストの信仰と献身を表すため、2本の巨大なオベリスクがカルナックのアメン神殿に運ばれる様子がレリーフに描かれている。 第二中庭の周辺にある有名なレリーフには、アフリカの角にあったと考えられているプント国に向かう貿易隊の姿が描かれている。この部隊が持ち帰ってきたミルラの木は神殿に植えられ、そこから採取した樹脂(没薬)が儀式に使われた。 ハトシェプストの誕生の様子を伝えるレリーフもある。伝説によれば、トトメス1世の妻であるイアフメスのもとにアメン・ラー神がやってきて、ハトシェプストが生まれたという。この誕生神話は、ハトシェプストのエジプト支配を正当化するうえで、重要な道具だった。第二中庭には、ハトホルと冥界の神アヌビスに捧げられたふたつの聖域がある。 第三中庭の入口横には、24体の巨大なオシリス像が並んでいる。これらの彫像は、ファラオ・ハトシェプストを、死後の世界の神であるオシリスに見立てたものだ。 ハトシェプストはつけひげをつけ、上エジプトと下エジプトを表す二重の王冠(プシェント)を頭にのせて、王権の象徴を手にしている。一番奥にある第三中庭は、太陽神ラー・ホルアクティに対する王家の信仰とアヌビスを祀った聖域だ。 この最後の中庭の中央には、神殿の最奥部となるアメン・ラーの聖域がある。その中にある3つの部屋は、ハトシェプストとアメン神の姿で装飾されている。 アメン・ラーの聖域は、毎年テーベで行われた「谷の美しき祭り」の主な舞台となった。この祝祭は中王国時代から行われており、ハトシェプストの時代に隆盛を極めることになった。 中庭の奧に向かって並ぶレリーフは、かなり傷んでいるものの、この祝祭の様子が描かれている。初夏の収穫期(シェムウ)の2カ月目には、ファラオがアメンの像とともに行進の先頭に立ち、そこに貴族や司祭、踊り手、兵士たちが続く。この行進はカルナック神殿から始まり、ナイル川を渡り、葬祭殿に向かう。 ハトシェプストの死後、その痕跡はトトメス3世によって意図的に抹消された。神殿を含め、彫像や碑など、ハトシェプストにかかわるものはすべて破壊するよう命じられた。それでもこの神殿は、ナイル川西岸に立っている。テーベの死者の町では、華やかな祝祭が今も毎年行われているのだろう。ハトシェプストの葬祭殿は、数千年という時間を超えて、それを造ったファラオの栄光を伝え続けている。
文=David Rull Ribó/訳=鈴木和博