歴史から消されかけた古代エジプトの女王ハトシェプストの栄光、巨大な葬祭殿から蘇る
数百万年の神殿
エジプトの新王国時代、ハトシェプストを含むファラオたちが、テーベの町(現在のルクソール)の対岸にあたるナイル川西岸に、「数百万年の神殿」と呼ばれるものを造り始めた。この場所に最初に葬祭殿を建てたのは、その5世紀ほど前の中王国時代のファラオ、メンチュヘテプ2世だった。 それに触発されたのか、ハトシェプストは絶壁のふもとのデル・エル・バハリと呼ばれる場所に、巨大な複合施設を造った。そこは神聖な場所で、死者の守護神であり、テーベの重要な冥界の神であった女神ハトホルに捧げられていた。 こういった神殿で崇拝の対象となるのは、死後のファラオだ。ただし、ファラオのミイラは、別の場所、王家の谷の地下室にひっそりと安置された。「数百万年の神殿」は、王家の葬儀のほか、王家の神々、そしてテーベの守護神アメンや太陽神ラーなどのための儀式に使われた。テーベの葬祭殿の中でも、ハトシェプストのこの葬祭殿は、特に重要な宗教施設となった。 建設に要した時間は15年ほどで、作業を取り仕切ったのは、ハトシェプストお気に入りの高官、センエンムウトだった。 この壮大な建造物には、近くにあるメンチュヘテプの神殿と同じように、スロープや中庭といった構造が使われている。しかし、センエンムウトはいくつもの画期的なアイデアを取り入れ、ほかに類を見ない華麗な建物を実現した。この建物は、「至聖」という意味の「ジェセル・ジェセルウ」とも呼ばれる。 ほとんどの新王国時代の葬祭殿は、ルクソールやカルナックに残されているような大型の門(塔門)で区切られた部屋を中心とした構造になっている。しかし、ハトシェプストの葬祭殿は、中央のスロープを囲うような形になっている。このスロープに沿うようにして、高さが違う3つの中庭が設けられている。 現在の葬祭殿の壁や中庭は、少々殺風景に感じられるかもしれない。しかし当時は、青々とした庭園、池、飾り付けられた彫像やレリーフに囲まれ、鮮やかな色彩があふれていたはずだ。建物は儀式向けでありながら、ひとつひとつの装飾に宗教的、政治的なメッセージが込められていた。