「『買う』『育てる』ではない『生えてくる』世界 これが本物の『自由』かも」稲垣えみ子
元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。 【写真】たくさん採れたコゴミの写真はこちら * * * 先日、日本有数の豪雪地帯である長野県栄村を訪ねた。かつて冬は道が閉ざされた村には、今も山の恵みを保存して一年を食べつなぐ暮らしが息づいていて、その知恵に魅せられ10年通い続けている料理家の友人が「春の山菜採りと保存食づくりを学ぶ旅」に誘ってくれたのだ。 集まった総勢7人は、桜が満開な里山にワーと歓声を上げ、頭の中に山菜地図が完璧に収められている地元のばあちゃんに連れられてコゴミやらワサビやらフキノトウやらヤマウドやら、都会のスーパーでは滅多に見ぬ極上品がボコボコ出まくっている夢の光景に興奮して餓鬼のように採りまくったわけですが、ふと気づけば、雪解けと共に飛び出すが如く一斉に顔を出しまくる山菜は採っても採ってもキリがないのである。 こうして採った恵みは乾かしたり塩漬けにしたり瓶詰めにしたりして年間のおかずの食材となる。我らは食べ物とは「買う」ものとしか思っていないし、視野を広げてもせいぜい「育てる」くらいが限界だが、「生えてくる」という世界があったのだ。自然とはこれほどまでに圧倒的に気前よく与えてくれる存在だったのかと唖然とした。 とはいえ、村でもこのような手間がかりの生活を続ける人は多くない。道が整備されスーパーで何でも買えるようになると、当然ながら「普通の食生活」が普通になった。確かに我らとて、ふだんは好きな時に好きなものを買って食べているのだ。たまに体験するから楽しいんでしょと言われたらそれまでである。
だがなんと言ったらいいのだろう。自然の圧倒的な懐の中で、自然の都合に合わせて生きるばあちゃんのかっこよさに私は痺れた。全く無駄のない動きで風のように最上の山菜だけを採り、自分で保存した食材であっという間にシンプルなおかずを何品も作りまくるばあちゃんからは「自由」の香りがした。我らはなぜ、思うように生きたいと願うほど、思うに任せぬ世の中に足を取られまくってしまうのだろう。その答えが目の前にある気がしたのである。 稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。著書に『アフロ記者』『一人飲みで生きていく』『老後とピアノ』など。最新刊は『家事か地獄か』(マガジンハウス) ※AERA 2024年5月20日号
稲垣えみ子