長嶋茂雄も王貞治もぶん殴っていた。野球界はなぜ体罰を根絶できないのか―日本野球と体罰の歴史を追った1冊が解き明かす“この国のすがた”【〈ノンフィクション新刊〉よろず帳】
〈ノンフィクション新刊〉よろず帳#4
野球を愛する研究者の力作『体罰と日本野球 歴史からの検証』(岩波書店)を紹介する。長嶋や王、星野、清原だけでなく、100年以上も前の正岡子規まで、ありとあらゆる野球人たちの言葉や記録を掘り返し、体罰や非科学的な練習がおこなわれた原因を解き明かした1冊は、ついに“真相”を浮かび上がらせる。ノンフィクション本の新刊をフックに、書評のような顔をして、そうでもないコラムを藤野眞功が綴る〈ノンフィクション新刊〉よろず帳。 【写真】かつては体罰やしごきも多かった東京六大学野球の聖地
長嶋はぶん殴った
昭和56年(1981年)に生まれた評者は、長嶋茂雄の活躍を目にしていない。両親は南海ホークスからの流れで、ダイエーに声援を送っていた。「実力のパ、人気のセ」が家庭内の符丁だったので、長嶋のイメージといえば『かっとばせ キヨハラくん』に出てくる、邪気のないトボけたおじさん程度のもの。 しかし、中村哲也著『体罰と日本野球 歴史からの検証』(岩波書店)に目を通すと、実像はずいぶん違う。長嶋は邪気のないおじさんどころか、ピッチャーの西本聖に何十発もの平手打ちを喰らわせ、キャッチャーの山倉和博を拳骨で殴るような男だった。それも、ただ一度の出来事ではない。〈長嶋監督の思い出を改めて追いかけると、真っ先にゲンコツが浮かんでくる〉【1】というほどだ。 〈のちに長嶋はこのこと【選手への体罰/評者註】について「彼らが若くて、これから素晴らしい選手になる可能性があるからこそ手を上げた。どうでもいい選手なら頭をなでておしまいだ。特にあの場合、口より手のほうが効果があるとみた」と述べている。二人【西本と角三男/評者註】が有望な選手であること、「手のほうが効果がある」などを理由にして、長嶋は監督として選手に体罰を行使することを正当化したのであった〉【2】 著者の中村は、テレビや芸能の世界ではほとんど不可侵の存在になっている長嶋を惰性で黙認するような真似はしない。しかし同時に、彼は野球を愛してやまない研究者でもある。