長嶋茂雄も王貞治もぶん殴っていた。野球界はなぜ体罰を根絶できないのか―日本野球と体罰の歴史を追った1冊が解き明かす“この国のすがた”【〈ノンフィクション新刊〉よろず帳】
職業的報酬の発生
『体罰と日本野球』で紐解かれるメカニズムは、この「余技説」と見事に軌を一にしている。先に述べたように、日本で最初期に野球を楽しんだのは、一高や大学の学生たちだった。 〈学業での怠慢は、落第や退学に直結していたため、勉強と野球の両立は一高野球部員にとって至上命題であった(…)一高野球部員は、教師や親から叱責されたり、校友から忠告を受けたりしながらも、日々練習や試合に励んでいたのである〉【3】 こうして一高は連勝を重ねるが、野球が一般子弟の世界に広がりを見せると、黄金時代は終わりを迎える。なぜなら、一高生たちは勉学にも励まねばならなかったからだ。 〈例えば、一九〇三年の入試の状況を見ると、一高の倍率は全校平均の二.四九倍を大きく上回る三.五九倍、合格最低点もすべての部類でもっとも高かった。その結果、一九〇〇年代に入ると「中学選手達のうち技倆優秀な者でこの難関を突破し来る者は皆無」〉【5】 本来、学生の本分は勉学にある。野球は愉快な余技のはずであったが、東京六大学野球のラジオ中継が始まると様相が一変した。それは、学生野球の選手たちが余技であるはずの野球で、金や働き口といった職業的報酬――生活の糧を得るようになったことを示している。 明治期には、レギュラー選手と若干名の補欠、十数人の部員で楽しくプレーしていた学生野球は、1940年代に入ると〈ほとんどの一年生が「フロ当番、グラウンドならし、球ひろい」〉【6】の生活を強いられるようになったのである。
部員の存在価値
野球をやりたい者(選手の候補者)が増えると、結果的に、部員ひとりひとりの尊厳は守られなくなる。著者は、その「真実」を東京六大学野球における〈残存率〉【3】で説明している。1年生部員のうち、何パーセントの者が4年時まで部員として在籍していたのかを計算したものだ。 〈一九五三年から六二年の部員数が増加している時期は残存率が低下する一方で、一九六三年以後に部員数が減少すると、残存率は上昇しているのである。部員数が増加すると、部員一人一人の存在価値は下がり、監督や上級生から体罰やしごきを受けやすくなり、退部する部員も増加する。部員数が減少すると、部員一人一人の存在価値が上がり、指導者や上級生も安易に下級生に体罰やしごきを加えて彼らが退部することがないよう配慮していたことがうかがえる〉【3】 この構図は、すっかりそのまま経営者と正規雇用者、フリーランス(非正規雇用者)の関係に置き換えることができるだろう。経営者(監督)、大手企業の正規雇用者(レギュラー、準レギュラー部員)、フリーランス(それ以外の部員)【7】。 昨年末、出版されてすぐに目を通した「現代の召使」を研究した1冊【8】でも、なぜ使用人が富豪に〈無価値なモノ〉【9】のように扱われ、捨てられるのかが、野球と同じ仕組みで説明されていた。 〈本質的にこうした行為は、使用人の交換可能な特性を示している。雇用主と使用人の相互依存は幻想だ。使用人は雇用市場にあふれているため、富豪はいつでも掘り出し物を見つけることができる〉【9】