気遣いと精神力の人…コメンテーターが見たテレビには映らない小倉智昭さん「とくダネ!」最後の年の姿
■「とくダネ!」22年の歴史に幕 番組での振る舞いにもようやく馴染んだような気がしていた頃、「とくダネ!」が2021年3月末で終了すると知らされた。「22年という長寿番組の『とくダネ!』にも、終わるなんてことがあるのか!」と純粋に驚いたけれど、そう伝えるテレビマンたちのつらそうな様子からも、さまざまな事情が絡み合う苦しい決断なのだろうと感じさせられた。 演者の皆さんにも、おのおのの感情があったのだろうと思う。私などはしょせんラストイヤーしか携わっていないけれど、ベテランコメンテーターの中には小倉さんの番組に関わって10年や20年という選手もいらっしゃったからだ。だが誰よりも番組終了への強い感情を抱いていたのは、メインキャスターたる小倉さん以外のわけがない。 ■小倉さんインタビューの提案 終わりに向けた放送は、粛々と続いていった。私は自分の最終出演日、生放送が終わったタイミングで控室に残らせてもらい、あらためて小倉さんの楽屋へご挨拶にうかがって、「文春オンラインで勇退インタビュー記事を書かせていただけませんか」とお願いした。絶対にヒットさせます、という確信と覚悟を込めて。 小倉さんインタビュー案は、採用されにくいことで有名な文春の記事プラン会議を事前に難なく通っていた。若手担当編集者と私は、「小倉さんのインタビューが書かせてもらえたらすごい」と、可能性に賭けていた。なぜって、文春は小倉さんにまつわるネガティブな記事をそれまでに3本スクープしており、小倉さんに好かれているはずがなかったからだ。
■泣きながら見届けた最終回 小倉さんは、私が文春の担当編集者の連絡先を書いた紙を差し出しながらインタビューのお願いをするのを椅子に前傾しながら静かにお聞きになり、 「河崎さん、いままで番組に協力してくださってありがとうございます。インタビューの件もよくわかりました。マネージメントとも相談するので、彼に連絡先を渡してください」 と、いつも小倉さんの楽屋の前で献身的に待ち続ける大柄なマネージャーさんの方を優しく指した。 マネージャーさんに「お願いします」と託した私は、その後「とくダネ!」の最終回を自宅で泣きながら見届ける。画面の中のベテランコメンテーターさんたちも、局アナさんたちも、みんな泣いていた。 ■彼は文春を許していなかった 間をおかずして、文春オンラインの編集者から悔しさの滲む連絡をもらった。「小倉さんインタビューの件、事務所から文春編集部への公式なお断りをいただきました」 「小倉さんは、文春を許していらっしゃらなかったんだ……」。担当編集者と、週刊誌ジャーナリズムの業を噛み締めた。優れたメディア人は、自らがそこを主戦場に闘い、傷を負い、生き残ってきたからこそ、他のメディアのやり方や姿勢に仁義を問う厳しい視線を失わない。 勇退したから、一線を引いたから、だから基準が甘くなったりなぁなぁになるなんてことではないのだ。 私は、小倉さんの凄みはむしろ「とくダネ!」を勇退してからの3年の過ごし方、揺らがぬ仕事の選び方にこそ感じた。本当にメディアで闘い、メディアで自らの姿を見せ続けてきた人の、最後の粋(いき)。 ひとの晩年の生き様とは、それまでの答え合わせなのかもしれないと、最近になって感じさせられる。小倉さんが病から解き放たれたいま、安らかに眠られるように、あの世で素敵な音楽と映画に囲まれて楽しく暮らされるようにと、私は勝手ながら満腔の敬意をもって祈っている。 ---------- 河崎 環(かわさき・たまき) コラムニスト 1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。 ----------
コラムニスト 河崎 環