「娘2人の死を絶対に無駄にしたくない」 元担当検事が見た両親の覚悟 東名飲酒追突事故から25年
夫妻が成し遂げた「厳罰化」と検事の驚き
「どんなに悪質な事故でも、車による事故であれば、何人殺しても最高で懲役5年までしか認められません。この最高刑があまりにも低すぎるのではないかと我々は疑問に思っています」 東京・町田駅の構内で、郁美さんは強い口調で呼びかけた。 悪質事故に厳罰を、そのための法改正を。賛同してくれる人たちの署名を集めた。 後に合計37万人分の署名が法務省に提出され、国を動かすことになる。 報道を通じて井上夫妻の活動を見守っていた内藤氏も確信していた。 井上さんなら厳罰化を成し遂げるだろう。 だが2人が挙げた成果は、内藤氏の予想を上回るものだった。 「正直なところ、法定刑(それぞれの罪に対して規定されている刑)が変わるかというくらいの感じを持っていました。しかしながら、“過失犯”を“故意犯”に変えるまでの改正がなされるということは全く考えていませんでした」
2001年11月28日。 奇しくも事故からちょうど2年目、2人の娘の命日に、参院本会議で刑法改正案が可決・成立し、「危険運転致死傷罪」が新設された。 飲酒運転や高速度運転などが原因で起きた事故に厳罰を科す画期的な法律だった。 だが画期的であるがゆえに、実際の事故に適用するためのハードルが高いという問題がその後もつきまとうことになる。 「もともとは過失犯で扱っていた事件を故意犯にする要件が必要になってくるわけなんですが、その要件自体をどのように判断をするか、証拠でどういうふうに認定するかというのが大変難しいとは感じていました」(内藤氏)
「検察は本来、被害者や遺族に寄り添うべきだ」
自分たちの事故がきっかけで危険運転致死傷罪が生まれて23年。 井上夫妻は、その運用が適切に行われているか見守り続けてきた。 悪質危険な事故で打ちのめされる被害者遺族たちに寄り添い、支援を続けてきた。 2021年2月、大分市で起きた時速194キロの車による激突死亡事故で、大分地検は当初、加害者を危険運転致死罪ではなく過失運転致死罪で起訴する。 井上さんは遺族に対して「もし『ちゃんと危険運転致死罪を適用してほしい』と思っていらっしゃるのであれば、闘う方法はいくつかあるよ」とアドバイスした。 遺族は会見を開いて世論に訴えるとともに、署名活動などを通じて「危険運転致死罪」の適用を検察側に強く要望した。 結果、大分地検は危険運転致死罪に訴因変更し、11月に下された大分地裁の判決も危険運転致死罪を認めるものだった。 遺族は言う。 「(井上さんは)私たちがつらい思いをしているのを知ると、自分たちのように悲しんでくれるんですよ。すごく応援してくれるし、本当に心強いです」 そんな夫妻の姿は、内藤氏の検察官としてのあり方にも大きな影響を与えてきた。 「検察は本来、被害者や遺族の方に寄り添うべきです。真摯に被害者遺族に向き合って説明をして、できる限りその心に寄り添うという活動をしなければいけない。そのことを私自身、強く感じてきました」 井上郁美さんに初めて会ってから25年。 内藤氏は思う。夫妻は娘たちの死を決して無駄にはしなかったと。 「多くの被害者遺族は2人の存在自体を、自分たちの再スタートの契機としています。事件で被害を受けた直後は、『もう誰も助けてくれない、この世の中には自分たちだけ』みたいに思っています。そんな時、井上さんたちが助けてくれる、一緒に話を聞いてくれる… それは本当に被害者の方たちを助ける手立てになっています。すばらしいという言葉では足りないぐらい、大切なことだと思っています」