「娘2人の死を絶対に無駄にしたくない」 元担当検事が見た両親の覚悟 東名飲酒追突事故から25年
なぜ写真週刊誌の取材を受けたのか
東名事故の事件主任として捜査を担当することになった内藤氏。 遺族である井上郁美さんの行動に驚いた。 「郁美さんは写真週刊誌の取材を受けておられました。 2人のお子さんの写真や、祭壇などと一緒に週刊誌に載っていたんです」 内藤氏が驚いた理由は2つ。 まず、当時の写真週刊誌は、硬派なネタも取り上げていたものの、著名人のプライバシーを暴くような記事も多く、内藤氏は「やや眉をひそめるような記事が多いと感じて」いた。 そしてもうひとつ、それまでに出会った多くの交通事故遺族には、ひっそりと悲しみや苦しみ、そして悔しさに耐えているイメージがあった。 郁美さんの行動は内藤氏の抱く遺族のイメージとはかけ離れていたのである。
そこで内藤氏は、地検を訪れた郁美さん(当時、夫の保孝さんは事故によるやけどのため入院していた)に、「なぜ写真週刊誌の取材を受けたのか」と問うた。 「私は、亡くなった2人の娘の死を絶対に無駄にしたくないんです」 郁美さんは、はっきりと答えた。 「もちろんご遺族は皆さん、同じなんですけれども、その中でも井上さんの覚悟というものがひしひしと伝わってきて、これはしっかりと捜査をして、被疑者を起訴しなければいけないという気持ちになりました」
地検は「殺人や傷害致死」での起訴も検討していた
井上さん一家の乗用車に追突したトラック運転手は泥酔していた。 神奈川県内のサービスエリアでウイスキーなどを飲み、わずかな仮眠をとっただけで再び運転して事故を起こした。 内藤氏も「まれに見る悪質な事故だった」と振り返る。 「被疑者は、料金所で通行カードなどを出そうとした時に手元がふらついてそれを落とし、車から降りて拾う時に係員から、『ふらついているよ』と指摘を受けたんです。しかし、『いや、かぜ薬を飲んだんだ』などと言い訳をして、運転を継続した。自らも足元がふらついていることをそこで十分自覚をしたうえで運転をして、この重大な事故を起こしたんです」 酒酔い運転の“故意”が確定的に認められる…事件主任である内藤氏はそう考えた。 当時、交通事故の加害者に適用されるのは、どれほど悪質なものであっても原則、「業務上過失致死傷罪」だった。 最高刑は懲役5年。 内藤氏によれば、実は交通部内で“未必的な故意(その結果が発生するか確実ではないが、結果が発生しても良いと容認していること)”による殺人、または傷害致死に問えないかという意見もあった。 検討の結果、“故意”について厳密に判断をすると殺人や傷害致死は難しいという結論となり、業務上過失致死傷罪で起訴したという。 そして事故から2カ月半。東京地裁で裁判は始まった。 担当は公判部の検事へと引き継がれていたが、求刑に関しては捜査を担当した検事が案を作り、決裁を受けて決定される。 この事案の求刑について内藤氏には強い思いがあった。 「これはもう業務上過失致死傷罪としての最高刑を求刑する以外にはないと考えました」 内藤氏が過去の裁判例などを調べたところ、交通事故で最高刑の懲役5年を求刑した例はなかったという。 それだけに、この求刑には検察内部でも抵抗が大きかった。 後に井上夫妻が「あまりに軽すぎる」と嘆いた、交通事故に対する最高刑「懲役5年」は、それでも法曹界にとって高い壁だったのだ。